自分のこと嫌いだなあと日々思いながらも、それでも自分を見放さずに生きていけているのは、そういう自分を「まあまあおもろいやんけ」と言ってくれた人がいたからだ。

僕の場合、それは高校時代の恩師だった。

僕は「芸能文化科」というちょっと奇妙な学科に通っていた。学年に1クラスしかないその学科では、3年間、クラス替えがない。担任もそのまま持ち上がりだった。

入学式の日、遅刻をした僕は自分の教室の場所がわからなくて、初めて歩く校舎の中を行ったり来たりしていた。

おい、横川、こっちや。

関西人らしい、ちょっと乱暴な声に振り返ったら、そこに小柄なクマみたいな人がいた。それが、三上先生。先生は、入学初日から生徒の顔と名前を丸暗記しているような人だった。

三上先生は、生徒たちの人気者だった。お笑い好きの先生は喋りも達者。生徒との距離も近く、まるで友達のように、先生の携帯電話を鳴らすクラスメイトも少なくなかった。

僕はと言うと、3年間、先生とまともな交流はほぼなかった。根っからの天邪鬼な性格のせいだろう。生徒からチヤホヤと慕われている先生を、どこか鼻白むような気持ちで見つめていた。自分はそんなにたやすく与しないぞと、妙に依怙地になっていた。

三上先生が、僕の人生に大きく関わってくるのは、卒業まで残り半年になろうかという頃。学科の性質上、一般入試を選択する者がほとんどおらず、受験シーズンだというのに笑い声ばかりが耳につく教室で、数少ない受験組だった僕はすっかり神経を尖らせてしまい、隙あらばクラスメイトに散弾銃をぶっ放すような顔をしていた。

そんな僕がギリギリ理性を保てたのは、三上先生という逃げ場があったからだ。毎朝7時、先生のいる職員室に行く。すると先生はいつもコーヒーを淹れて僕の話を聞いてくれた。話の内容なんて大したことじゃない。9割9分、人の悪口。それを先生は「かっか」と引き笑いを立てながら聞いてくれた。

 

時には授業をサボって、先生のいる職員室に逃げ込むこともあった。そのときも先生は教室に戻れなんて野暮なことは一度も言わなかった。僕の口から淀みなく溢れる悪口に「かっか」と笑うだけ。先生が笑うと、僕は自分が少しだけ面白い人間になれた気がした。

 

先生との付き合いは、卒業してからの方がより色濃くなった。春夏秋冬、季節がめぐるたびに、僕は先生のケータイを鳴らした。20歳を過ぎた僕に、お酒を教えてくれたのも先生だった。まどろっこしい話を好まない先生は、いつも電話に出るなり「ほな飲もか」と誘ってくれた。

待ち合わせは、いつも京阪の京橋駅。人混みの中で僕の姿を見つけると、先生は短く手を挙げ、挨拶もそこそこに歩き出した。サンドウィッチマンの伊達さんみたいな見た目に似合わず、連れて行ってくれるお店はいつもおしゃれで、やたらと天井の高いダイニングバーで、ドキドキしながらお酒を頼んだ。

まだお酒をよく知らない僕はカシスオレンジが精一杯で、先生は「そんなジュースみたいな甘ったるいのを飲んで」と笑った。それが悔しくて、僕は先生が飲んでいる焼酎を真似した。初めて飲んだ麦焼酎はおいしくも何ともなくて、喉元にざらついた臭みが残るだけだった。だけど僕はそれを隠して、グラスをあおった。先生と同じお酒を飲めていることがうれしくて仕方なかった。