婦人科に行くのが、億劫だった


11月に入ると、排卵期ではない時でも少量の不正出血が見られるようになり、おりものの量が一気に増加。おりものシートを1日に何度も替えないといけないくらい大量でした。

その時はさすがに「これは卵巣か子宮かどこかに、なにか異変が起きているぞ……!?」と気づいていたものの、まさかがんだとは思いませんでした。

それでも婦人科に行くのがやはり億劫で、重い腰をようやくあげたのが12月上旬です。近所のクリニックで診てもらうことにしました。私も例の内診台にのって足を開くのが憂鬱で、婦人科に行くのを躊躇していたうちのひとり。

でも今思えばあの検診なんて、その後体験することに比べたら本当になんでもないことだったと心から思うけれど。

クリニックで症状を伝えたところ、おりもの検査と子宮頸がん検査をすることになりました。エコーもしましたが、その時点で先生が「膣の入り口にできもののようなものが見える」と言っていました。実はそれが、がんだったんです。

1週間後に出た細胞診の結果は、「進行したがんの疑い」という大変ショッキングなものでした。そこからはあれよあれよという間に、大学病院にまわされ、精密検査を受けて……という流れです。

細胞診の結果が出た日のことはよく覚えています。年末に行こうとしていた韓国旅行に備えて、有楽町のパスポートセンターに更新したパスポートを取りにいかなくてはならない日でした。

突然がんだと言われてわけがわからないまま、ふらふらとした足取りでパスポートを取りに行き、10年パスポートを受け取った瞬間にふと思い浮かんだのは、

「10年後、私生きてるのかしら……? 5年パスポートの方が更新料も節約できたし、十分だったのでは」

なんて悪い冗談。そんなジョークが浮かぶくらい実感がなかったのですが、自分自身の生死について考えたのはあの時が初めてだったかもしれません。

 

大学病院で医師から言われた、衝撃的なこと


大学病院では一通りの精密検査を受けました。がんの転移があるかないかによって、今後の治療方針が変わるのだそうです。

正直その時点では、私は自分が置かれた状況を甘く見ていました。先日の細胞診の結果で、自分ががんだという事実はなんとか受け止めたものの、きっと初期に違いないからそこまで大事にはならないだろうと高を括っていたんです。

でも大学病院の先生からは、がんはけっこう大きくなっていて、エコーで診るかぎり4cmくらいはある。全ての検査結果を見た上で、転移がないと判断すれば手術をすることになるだろうと言われました。この手術というのが、「子宮だけでなく、卵巣や卵管も含めて根こそぎ切除する手術だ」と言われた時にようやく、自分がただ事ではない状況に直面しているのだと気づき、頭の中が真っ白になりました。

こうして、病気とはいっさい無縁の超・健康体だと信じていた私が、ある日突然がん患者となってしまったのです。

恥ずかしながら、それまでの私は子宮頸がんに関する知識がほとんどありませんでした。唯一知っていることといえば、子宮頸がんのほとんどはHPV(ヒトパピローマウイルス)への感染が原因であること。

そんな私でも、子宮頸がん検診や経膣エコーなどの婦人科検診は、30代半ば頃からは、毎年受けていました。ところが昨年だけは、子宮頸がん検診をサボってしまいました。そのことが致命傷となったのでしょうか? でも少なくとも、厚労省が推奨している「2年に1回」の検査は受けていたことになります。

子宮頸がんはウイルスに感染してから5〜10年の歳月をかけてゆっくりと進行していくもの。だからこそ定期的に検査を受けていれば、深刻化する前に発見することが可能なのだと聞いていたはずなのに……!

ところが、子宮頸がんの中でも私の場合は「腺がん」というものでした。これが、検査で見落とされる傾向が非常に高い種類の子宮頸がんだったのです。

次回のコラムでは、検査で見落とされやすいとされる「腺がん」について説明するとともに、病気になって私が決意したことをお伝えしていきます。

「嘘でしょ、私が…」子宮頸がん発覚までの予兆とは?
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イラスト/小澤サチエ
構成/山本理沙
 

 
 
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