差別や偏見の中で人前に立つ怖さに、初めて想像を巡らせた出来事


1994年、大学4年生の時に、学生とメディアの有志たちが行うキャンペーンに参加しないかと友人に誘われました。HIV陽性であることを理由に不当解雇された人たちの声を世の中に届け、病気や性的指向に対する差別をなくそうと訴えるキャンペーンです。私が就職内定していた放送局のキャスターも参加していたので、興味を持ちました。

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当時、HIV感染はまだ死に至る病という印象。効果的な治療法がなかったため、今のように誰でも感染しうるコントロール可能な慢性疾患という認識ではありませんでした。男性同性愛者やHIV陽性者に対する偏見も強く、不当解雇などの問題が起きていたのです。しかし今でも、HIVに感染していることを理由に内定を取り消すなど、差別はなくなっていません。だからこそ、法律ではっきりと「差別をしてはならない」と定めることが不可欠なのです。

 

身内にはそんなキャンペーンに参加したら内定を取り消されるかもしれないと言われて、大喧嘩になりました。新宿のアルタ前広場で街頭キャンペーンをした時には報道陣が取材に来ましたが、参加した学生の中には、内定取り消しを恐れてカメラを避ける人もいました。私は、勇気があったから人目を避けなかったのではありません。そうやって人前に立つことがどれほど「怖い」ことなのかをわかっていなかったのです。実際に差別を受けたり、偏見に晒されている人が声をあげるのはどんなに勇気のいることかも、そして不利益な扱いを恐れて参加者が身を隠さなくてはならないような世の中の現実も、わかっていませんでした。それが自分ごとになるかもしれないとは、想像しなかったのです。

その頃、仲のいい友達が、自分は同性を好きになるんだよと話してくれました。そうなんだね! と言いながら、どうして今まで、自分の友達にも同性を好きになる人がいるかもしれないと考えなかったんだろう?とハッとしました。