そんな矢先の、がん発覚。いくら子どもは産まなくていいと言っても、いきなり子宮がなくなってしまうというのはあまりにショッキングです。

生理とのお別れがこんなにいきなりやってくるという覚悟も決まっていなかったので、買い溜めしてあった生理用品を眺めながら自宅のトイレでどんよりした気分になっていました。

さらに衝撃を受けたのは、卵巣まで取らなくてはいけないこと。女性ホルモンの大半が出ていると言われる卵巣をなくしたら、私はどうなってしまうんだろう? という不安で、心がいっぱいになりました。

 

母と親友たちに背中を押されて……


でもそんな私を勇気づけてくれたのは、母と親友たちでした。

母ははじめからとても冷静で、「私、がんになっちゃったよ」と伝えた時も、まったく動じた様子を見せませんでした。

それは、母が元看護師だったということも関係しているかもしれません。私が不安になって泣き言をぼやくたびに、母は、「大丈夫だよ!」となんでもないことのように答えてくれました。

実は母自身も、30代の頃に卵巣嚢腫で卵巣摘出をしています。そんな母の「大丈夫だよ」にはやけに説得力があり、その言葉を聞くたびに私は救われたような気持ちになりました。

医師から広汎子宮全摘出術の説明を受けたときに、「医師としては卵巣の摘出も行うことを強く勧めるけれど、私が希望するなら卵巣の温存は可能だ」と言われました。正直、子宮は諦めたとしても卵巣だけは残したい気持ちが強くあったので、迷いが生まれました。

しかし母からキッパリと、「卵巣に転移する可能性もあるんだから、卵巣も取ろう!」と言ってもらったことで、心を決めることができたと思います。

 

それから、親友たちの存在にも救われました。子宮と卵巣を取ることにした、と伝えたときに、彼女たちは私に「よし! よくぞ決断した!」と言ってくれたんです。

その頃一番辛かったのが、誰かから「かわいそう」と思われることでした。病気になって手術することを人に報告すると目の前で泣かれてしまうこともあったんです。でも親友たちは真逆で、エネルギッシュに私の背中を押してくれたことが、何よりも嬉しかったです。

そして、私の前では何事もないかのような素振りをしていた彼女たちが、いつのまにか子宮頸がんや腺がんについてやたらと詳しくなっていると気づいたとき、愛を感じて泣きそうになりました。    

こうして私は、母や親友の愛に支えられ、潔く子宮や卵巣とお別れすることができたのです。

 

がんが見つかって以来不安な日々を過ごしていましたが、手術が決まった時点で不思議と精神的に落ち着きを取り戻しました。

検査結果がわかるまでの私は、完全に「検索魔」と化していたと思います。腰が痛かったり足が痛かったり、少しでも不調を感じると「がんがどこかに転移しているせいかもしれない」と不安になり、ググってばかり。そしてネガティブな情報を見つけてしまい、またさらに検索が止められない……という負のループに陥っていました。

明け方まで眠れない日もあったのですが、検査の結果がわかり治療方針が確定した時点で、検索癖はぴたりと止まりました。

手術は、1ヶ月後です。次回のコラムでは、広汎子宮全摘出術を受けて感じたことをお話しようと思います。
 

できれば子宮全摘なんてしたくなかった。でも私の背中を押してくれたのは……
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イラスト/小澤サチエ
構成/山本理沙

 

前回記事「「気づいたときには、“がん”は進行していた…」子宮頸がん検診で見落とされやすい「腺がん」の恐ろしさ」>>

 
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