何も考えなくて済むように、ただがむしゃらに働いた


──芸人を目指したきっかけは何だったんでしょうか。

河井ゆずるさん(以下:河井):元々ずっとちっちゃい時から吉本に入りたかったんです。父親がいない家庭だったので、有名になって見返したいみたいな、ベタな理由でした。一番最初は野球選手が良かったんですけど、小学3年~4年生のときに、家にお金ないから無理やなあって思ったんです。有名になるなら何がいいかと考えた時に、ずっと大阪で生まれ育ったというのもあって、芸人をやってみたいと思いました。その気持ちがずっと途切れなく、続いていたという感じです。でも、芸人になることは、一度諦めているんです。

 

──諦めたというのは経済的な理由で?

河井:そうですね。もうNSC(吉本総合芸能学院)には入れるものと思っていたんですけど、蓋を開けてみたら高校1~2年の弟がいて、更年期障害の母親がいて。母親は喫茶店を辞めてフリーターになって、もう僕が家族のために働くしかないってなったときに、今何もかも捨てて、NSCに入っても後悔するなと思ったんです。芸人になれない現実を受け入れるのには時間がかかりました。諦めてから2年ぐらい、テレビを観れなかったんですよ。でも働かないといけない現実はもうすぐそこに来てる。だからもう余計なこと考えなくて済むぐらいに働いていましたね。考える時間があると変なことを考えてしまうから。一日18時間ぐらい働いていました。

 

──どんなアルバイトをされていましたか?

河井:もうめちゃくちゃいろいろやりましたよ。月~土は朝7時半とか8時ぐらいからテレアポのバイトに行って、それが終わったら月火水土は塾の講師のバイト、木金はレストランバー。土日は塾の講師が終わってから家庭教師に行ったりしていました。5つくらい掛け持ちしていましたね。でも、そんな生活を続けていたら21~22歳ぐらいの時、ある朝起きようと思ったら立てなくて、救急車で運ばれました。その前からずっと、毎週日曜の休みの日になったらちょっと体がしんどいなっていうのがあったんです。体調が悪い日が週1から週2になって、週3になって、だんだんしんどくなって来て、病院に行ったらお医者さんに「君このままのペースで働いたら、3ヵ月以内に絶対過労で倒れるよ」って言われたんです。それから1ヵ月くらいで倒れたので、お医者さんってすごいなと思いましたよ。