過労で倒れ、就活もうまくいかなかった時思い出したのは芸人になりたいという夢


河井:そこからもう仕事を全部1回辞めて、リハビリを半年しながら、飲食店で働こうと思ったんですけど、それも難しくて。もう条件はなんでもいいから就職しようと思って、面接に行ったときに、僕は最終学歴が高卒なので、「君の学歴では……」みたいなことを5社くらいから言われました。5社目を受けたあとくらいだったと思いますが、大阪の肥後橋というところから自転車に乗りながら家に帰っている途中に、やばい全然したいことがない、どうしようと思って考えていたら、「あ、したいことあった」と思い出して、その足でNSCの入学書類を取りに行ったんです。それが締め切りの前日だったんですよ。

──運命的ですね。

河井:だから何も考えないで、「前日やから出さな!」と思って入学届を出したんです。それが良かった。2ヵ月3ヵ月、締め切りまでに猶予があったら、このタイミングで相方もおらんのにひとりでどうするんやろ、とか多分いろいろ考えてしまっていたと思います。その後NSCのお金を貯めるために、短期のアルバイトに行ったら、その後最初に組むことになるアキナの山名文和がいたんですよ。

 

──ものすごいめぐり合わせですね。アルバイトを辞めて芸人一本で生活するようになったのが33歳の時だそうですが、その直前、バーのマスターになりかけていたとお聞きしました。

河井:なりかけてました。っていうか、なってました。

 

──バーのマスターというと、自分でお店を切り盛りされてたんですか?

河井:そうですね。もともとはその店でアルバイトをしていて、オーナーさんがお店を閉めることになったんですけど、「閉めたらお前バイト行くとこないよな?」と言ってくださったんです。利益は出さなくていいから、自分の時給が出るぐらいの売り上げをちゃんと管理してやって、とお店を任されました。

──その時はどういうスケジュールで動いていたんですか。

河井:お店が夕方6時から朝5時までなので、その時間帯でお店を開ける日はその時間帯で働いてましたね。先輩に飲みに誘っていただいたとか、なんか急にちょっと仕事入ったとか、リハーサルで夜中劇場に行かないといけなくなったらお店は開けられないので、LINEがなかったから常連のお客さんにはひとりひとりにメールをして、店のシャッターに手書きの張り紙を貼って、という感じでしたね。