猫と一緒に暮らす人にとっては、家族のように大事にしている猫と1日でも長く暮らせるのは幸せなことです。その一方で、猫も飼い主も年齢を重ねていくことになります。

それでも、猫とともに暮らしてきた時間はかけがえのないものですし、シニアになった猫だからこそ、愛着もひとしおです。そこでミモレでは、シニア猫(ここでは10歳以上と定義)と暮らす人たちのお話に耳を傾けてみようと思っています。

今回、シニア猫について話をしてくれたのは、ミモレでも執筆している、医療ライターの熊本美加さん。31歳の時に初めて猫を迎え入れて以来、猫たちと一緒に人生を重ねてきました。猫や本人の闘病生活や、辛い別れもありましたが、それ以上に猫からたくさん幸せをもらっていると感じています。

今はもう虹の橋を渡ってしまったにゃびし(写真手前)とにゃんじ。今ごろ天国で再会しているはず。
<飼い主プロフィール>
熊本美加さん(50代)
医療ライター、性の健康カウンセラー
猫を初めて迎え入れたのは31歳の時のこと。ある知人が猫を誕生日プレゼントに彼氏にねだったものの、そもそも彼女はペット不可のマンションに住み、外泊し放題。猫を手放したいと言いはじめ、その猫を引き受けた。この時のにゃびし(享年20歳)を皮切りに、ずっと猫との暮らしを続けている。著書に『山手線で心配停止』(講談社)、『新・アダムとイヴの科学』(ロングセラーズ)。
<同居猫プロフィール>
フリーにゃん(17)
弟の家で生まれ、譲り受けたアメリカンショートヘアのテリーにゃんが突然の病で、わずか5歳で亡くなってしまう。熊本さんがショックで憔悴していたところ、当時、仕事をしていた会社の人が、地域の猫ボラさんをやっていて「子猫いっぱい生まれたの」と声をかけてくれ、見に行ったところ最初に目が合ったのが、キジシロのこの猫。名前の由来はRED HOT CHILI PEPPERSのベーシスト・フリー。

ママン(12)白黒牛模様の元地域猫。猫ボランティアが交代で世話をしていたものの、近くのマンション住民から嫌がらせを受け、これ以上は外で暮らせないと判断。2017年に弟のにゃびしと一緒に熊本さんに迎え入れられる。当初、にゃびしのお母さんだと思ってこの名前にしたものの、のちに姉と弟であったことが判明。

私にとって初めての猫であるサビ猫のにゃんじには、いろんなことを教えてもらいました。誕生日プレゼントに生き物という選択は、重くとらえるべきです。命を預かるには、一生お世話をさせていただく責任が伴います。しかし、ひょんな巡り合わせてやってきたにゃんじは私にとって何よりも大切な宝物になりました。

1998年頃、熊本さんの家に来たばかりのにゃんじ(写真提供:熊本さん、以下同)

にゃんじのあと、プッチにゃん(享年2歳)、テリーにゃん(享年5歳)、フリーにゃん(17歳)、元地域猫のにゃびし(享年推定11歳)、ママン(推定12歳)が我が家に来ました。にゃんじは、おっぱいをあげたり(出ていたかどうかはわかりません)新参猫たちに猫同士の規律を取り仕切ったりして、それは保護者のようでした。

地域猫だった頃のにゃびし(写真右)とママン。熊本さんはこの頃、毎日公園に猫ボラとして通っていました。

病気で2回死にかけたことがありましたし、闘病生活もありましたが、最期は私の腕の中で息を引き取りました。20歳でした。ちょうどその頃、北海道に住む母の介護が本格化する頃で、もしかしたらにゃびしは、私を気遣って旅立ったのかもしれません。

 

我が家では一番多い時で4匹の猫がいましたが、その時が一番幸せでした。猫の数だけ幸せが増えるんですよね。プッチにゃんとテリーにゃんは短命で、本当に悲しかったけれど、猫の傷は猫でしか癒せないことも痛感しました。私が打ちひしがれている時に、さまざまなご縁で新たな猫を迎え入れてきたのです。

みんなの保護者的な存在だったにゃんじ(写真中央)

にゃんじがいなくなってから、フリーにゃん、にゃびし、ママンの3匹と一緒に暮らしてきました。この幸せな時間がいつまでも続くと思っていたのですが、2019年に山手線内で、なんと私が心肺停止で倒れて救急搬送されてしまったのです。一命をとりとめましたが、入院生活は2ヶ月にも及びました。その間、3にゃんずの世話をしてくれたのが、猫仲間で結成した「猫互助会」のメンバーでした。昔からの友人で、お互いの家の鍵を託し、仕事や親の介護などがあれば猫の世話をして、メンバーの猫が亡くなったらみんなで悲しんで一緒に弔い、新しい猫を迎え入れる時はともに喜んできました。

17歳には見えない、子ねこのようなフリーにゃん
 
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