私達も同じように危険性をはらんでいる。自分事として考えなければ


ーー陽子は、最終的に凶行に及ぶ人物「さとくん」とほぼずっと一緒にいますよね。それ以外にも、同じ施設で一定期間働いていること、ままならない承認欲求を抱えながら自尊心を削られて生きていること、「嘘が嫌い」と言い続けていることなど、ふたりはよく似たキャラクターに思えました。でも陽子はさとくんにはならなかった。その違いは何だったのでしょうか?

二階堂:さとくんは絵が上手なんですが、彼が描いたすごく美しい絵を見た時に、「さとくんだってこっち側の人間だったのにな」と思ったんですよね。きれいなものを「きれいだな」と思う心は同じだったはずなのに、彼の中でどうして「これは醜いもの」という定義が出来上がってしまったのか、それは今でも考えるし、考えさせられています。それがこの作品が投げかけている問いかもしれません。

 

二階堂:これは決してメディアを批判しているわけではないのですが、こういうセンセーショナルな事件が起きた時に、事件を起こした人間の奇行や、荒れた生活態度、サイコパスだったというようなことのみが取り沙汰されることが、逆に怖いんですね。私達もそうなる危険性をはらんでいる、事件を自分事として考えなければいけないのに、個人の「生まれながらの怪物性」のみを原因にして、一般の社会から切り離してしまうことが。もちろん事件を起こした人が100パーセント悪いんですが、私達だって一線を越えるか越えないかのところで生きてるはずだと思うんです。なのに「彼は私たちとは違う怪物だったから」と片付けてしまう。「普通の人はああいうことは起こさない」というのは、本当は違うんじゃないかっていう風には思っていました。

――この映画は物議を醸す作品で、出演にはある種の覚悟が必要だったと思うんです。二階堂さんがそれでも出演した理由や、作る意義があると思った点を教えてください。

二階堂:原作のモチーフとなった事件が起きた日のことを、すごくよく覚えています。なんてことが起こってしまったんだという衝撃をうけましたし、その後のメディアでの取り上げ方、特殊性ばかりが取り沙汰される報道にも違和感を感じていました。作品にするということでお話をいただいた時も、「自分がここに参加していいのだろうか。そもそも作品にすべきことなのか」というのは、やっぱりすごく悩みました。

同時にあの事件では、いろんなことを考えさせられました。例えば裁判でも、被害者の方々を実名報道するかしないか、被害者遺族の方々が表に出ることや、逆に出たくないということなど、プライバシーや人権に関わる問題がすごくありました。そしてその基準を決めるのが当事者でなく社会的強者の側の人間でいいのだろうかとか。その過程で「実際に存在する人たちを『いないもの』として排除して回っている社会に、自分は生きているんだな」ということを、すごく実感させられました。

そこに対して、自分はちゃんと向き合いたいなと思ったし、この事件を忘れないようにすることがすごく大事だと思ったんです。「特異な怪物」が起こした事件としてではなく、社会全体があの事件の当事者であることを感じてもらえたらいいなと。自分の役やストーリーがどうという以前に、そういう作品になって欲しい。たとえ答えが出なくても、そういう意味で、映画を作る意義があるんじゃないかなという風に思ってました。


インタビュー後編
二階堂ふみが沖縄で育ったからこそ差別や偏見について思うこと>>
 

 
 

<INFORMATION>
『月』
10月13日公開

 

深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。

上映時間:144分 / 製作:2023年(日本) / 配給:スターサンズ
©️2023『月』製作委員会

シャツ ¥30800/PRANK PROJECT スカート ¥37400/O'NEIL OF DUBLIN(デミルクス ビームス 新宿)

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デミルクス ビームス 新宿 tel. 03-5339-9070


撮影/榊原裕一
取材・文/渥美志保
構成/坂口彩