仮面浪人グラホ


「莉子先輩、おはよーございまあす!」

「おはようございます。……松本さん、今日も7センチヒール? 3連休初日の土曜で予約率105%よ。一日中走り回ると思うから、もう少し低いのに変えたほうが……」

「大丈夫でーす。私、慣れてるんで、これで走れまーす」

そう言って、みんな腰を悪くしてすぐ辞めちゃうんだってば、と言いたいところをぐっとこらえる。最近の新人は、厳しくするとプライドが高くてなかなかうまくいかない。でも安全を守るためには最初の教育が肝心。その匙加減が難しい。

「今日はゲート(搭乗口)エリアです。担当する出発便8本、シフト表しっかりマーキングしてね。分刻みで動きます」

はーい、と松本さんは調子よく返事をするが、マーキングする気配はない。こういうところよ……と私はがっくりと肩を落とす。

仕方ない。仕事に向き合う姿勢なんて、人から言われて変わるものじゃないし。

噂によると松本さんは、新卒で航空会社だけを受け続け、しかし小柄のためか、大型機を運航する大手航空会社は軒並み不合格。結局、仮面浪人のような形で同じ航空業界の空港スタッフになったとか。今後も中型機を運航する会社のCAの採用試験があれば仕事を休むと同期のあいだで公言しているらしく、女社会でその噂はあっという間に広がった。

いつも高いヒールのパンプスを履き、メイクも身だしなみも完璧。むき卵のような白い肌と、甘いトーンの声で、研修生のバッジをつけていると男性のお客さまから頑張れ~怖い先輩に負けるなよ~などと声をかけられている。

しかし後片付けの時間になると急にいなくなったり、面倒な仕事を頼みたいときに限ってお客さまと話し込んだりしている。女の職場はそういうことに敏感なので、入社早々、先輩たちからの彼女の評判は芳しくなかった。教室での訓練期間後、私がOJT教官になったのも、自分で言うのもなんだが温厚で気の長い訓練ができると見込まれてのことだろう。

しかしようやく今日で訓練も終わり。私も少しばかり、このマイペースな新人ちゃんの扱いに苦慮したのが正直なところだ。

私はよし、と気合いを入れて、バックオフィスを出た。

 

緊急の通達


事件は昼前、早番の私たちがもうすぐ終業、というときに起こった。

――8時に羽田を出発した321便那覇行きのお客様、那覇空港にて行方不明。現在捜索していますが、羽田で当該便を担当したスタッフ、至急オフィスに集合してください。当該のお客様は白川久美さん22歳。『要スペシャルケア』のお客様です。念のため全員、詳細をシステムで確認ください。

全スタッフが携帯している無線で、オフィスから緊急速報が入った。

 

私はすぐにシフト表を確認する。321便は私と松本さんが担当した便じゃない。

「神崎さん、要スペシャルケアって何ですか?」

松本さんが小首をかしげて尋ねてきた。

「搭乗に際して特別なお手伝いが必要なお客さまのことで、そのサポートの内容は端末を見てみましょうか」

私たちは、空港のコンコースのはじっこで業務用のタブレットを開き、確認した。

白川久美MS 22歳 
FLT321/55C グループホームの団体PAX
知的な障がいがあり、おひとりでの行動は困難。集団で別ゲートから搭乗、OKA到着後、ゲートで再集合の際に行方不明に。携帯を所持しているものの、電源が入っていない。白いスウェットに黒いパンツ、赤いスニーカー着用。

「これは……心配ね。沖縄空港のKD(空港スタッフ)は大騒ぎになってるはず」

インフォメーションを読んで私と松本さんは言葉を失った。おひとりで行動が難しいなんて、きっと迷子になってしまってすごく不安なはず。

以前、こちらのホームの皆さんをご案内したことがあった。独居が難しい障がいのある方々が、助け合いながら生活できる特別なホーム。年に1回、みんなで国内旅行に行く仕組みがあって、居住者の方々は毎年嬉しそうに出発していく。

「飛行機の中で消えちゃったなんてことがあるはずないし、羽田で乗らなかったんじゃないですか?」