男性社会にある「女性を対立させる」構造


中野 山口さんの本を読むと、ご自身に悪い部分があったかのように書いているけど、背景に男性中心の職場にある、女性同士を競争させる構造があると思います。私も大学時代から紅一点には慣れていたのですが、紅一点より厄介なのが、女2人の状態。新聞記者時代に、やはり、1つ上の女性の先輩と執拗に比べられて、あの取材先は〇〇派だぞとか言われましたね。しかもそこで比べられているのは仕事の能力とかではなく、見た目とか、どれだけ取材先に気に入られているかという点だったりする。

山口 つねに競わされている感じがあって、後輩からもライバル視されるように仕向けられた感覚があるよね。後輩から「メンターについてもらえって言われたから来ましたけど、〇〇さんみたいになりたいとは思ってません」なんて言われた友達もいます。その友達にも私は、もう少し苦労してきたこと言えばよかったんじゃない? と言ったんだけど。 

私たちは、手を差し伸べるのを難しくさせられてしまったのではないかと思うんです。それが良くなかった。私は救いの手が欲しかったし、困っている人がいたら手を差し伸べてあげたい。そう思ったときに、キラキラが欲しいわけではなく、私も悩んでいるんだということ、そしてそれは皆が通る道だというのを見せたほうが役に立つのではないかと思ったんです。

 


女性の数が増えれば、おのずと変化する


中野 米ハーバード大学のカンター教授の著書『企業のなかの男と女』にも、男性社会の中に女性が1人では、その女性は「トークン(象徴、代表)」にさせられてしまう。その状態を変えるには、やはり「クリティカルマス(集団内でその存在を無視できない数、その分岐点を超えたグループ)」が必要、という話が出てきますね。男性多数の中で女性がリングにあげられてしまうところがあるなら、そういうことをなくしていくためにも女性が増えないといけない。

また、メディアや企業の中で“女性の成功例”として示されるのは、誰もが真似できるわけではない凄まじいやり方でサバイブした事例だったりする。それでは後に続く女性たちからも賛同は得られないですよね。

 

山口 当時、ちょっと長い時間働いていることに言及すると、「甘ったれているんじゃないわよ」という感じで叱ってくる女性の先輩もいました。午前3時に省庁呼びつけましたとか、子どもを24時間預かってくれる無認可保育に預けて猛烈に働きましたという手柄話とか、私のころなんかお化粧なんかする余裕なかったとか言われちゃうことが多く、なんで分かり合えないんだろうと思うことはありましたね。

あのときに、あの人たちもそれぞれに弱かった時代があって、それゆえに今でも鎧を着ざるを得なかったんだなという風に思えたら、もう少し違う見方ができたし、もしも彼女たちがそう言ってくれたら、私たちももう少し有益なアドバイスを得られたと思うんです。

正直、手柄話は落ち込んでいるときに何の助けにもならなかった。自分もこういうことに傷ついたけど、こうやって乗り越えたよ、ということを社会人1、2年生のときに聞きたかったな。