この世で一番、怖いもの

その絵の裏には、びっしりと、お札が貼ってあった。まだ新しいそのお札の文字はさっぱり読めなかったけれど、それは私に充分な恐怖を与えた。それはもう、充分に。

私はそのまま部屋を飛び出した。誰もいない廊下を、できるだけ足音を立てずにエレベーターホールまで移動する。

1231号室。

昨日の夜、カードキーが配られたとき、機長が副操縦士である彰人に渡したカードキーの番号を、盗み見して記憶していた。

CAたちがいるフロアは4階。私はエレベーターの上昇ボタンを何回も連打した。廊下は奇妙に薄暗く、寒色の灯りが寒々しい。こんなところを先輩CAに見られたら一巻の終わりだ。私はパーカーのフードをかぶり、防犯カメラから顔をそむけた。

ようやく来たやけに動きの遅いエレベーターに飛び込み、12階ボタンを押す。はっと気づいて彼に「ごめんね、緊急事態。お部屋に行ってもいい? 誰にも見られてないよ」と送ったが、寝ているのだろう、当然既読はつかない。

12階で降りると、急いで彼の部屋のほうに走った。キャプテンの部屋はとなりではないだろうが、このフロアのはず。足音を立てないように、顔を伏せて移動した。

廊下の角を曲がろうとして、ドアが開いた部屋があり、私はとっさに身をひるがえして隠れた。開いたドアの影で、おそらく男女が一言、二言、言葉を交わしている。曲がり角からそっとのぞき込むと、開いたドアの部屋番号がこちらに向いていた。

1231号室。

彰人の部屋だ。

金縛りにあったように動けない私の10メートル先で、ドアを閉めながら、女性が部屋の中に向かって小さく手を振った。

 

濡れたロングヘアをダウンスタイルにしているけれど、あれは――山崎チーフ。

私は後ずさりする。チーフの足音が近づいてきて、とっさにエレベーターホールの反対の廊下のほうに身を隠した。

彼女は足取り軽く、私が今降りたばかりのエレベーターに乗っていく。4階で止まった。

震える手で、スマホを見ると、既読が付いた。すぐに返信がある。

『ごめん、寝ていて気づかなかった。どうした? 今日はもう遅いから、会いたいけど我慢しよう? 東京に帰ったらオフは一緒だよね? どこに行きたいか考えておいて』

すっかり冷えた体。あんなことになった部屋には死んでも戻りたくない。かといって、数分前までほかの女がいた彼の部屋に行けば、修羅場は必至。

裸足にルームシューズの足元から、ぞっとするような寒気が這い上がってきた。

どちらに行っても、人生で指折りの怪談ナイト。私は自嘲気味に笑った。

 

次回予告
再婚が決まって、訪れた別荘。相手の連れ子と留守番をしていると……?

小説/佐野倫子
イラスト/Semo
編集/山本理沙
 

 

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