小さい頃、「将来の夢」の欄を前にして、「なんにだってなれるはず!」という根拠はなくともワクワクする気持ちを抱いたことはありませんか? でも、大人になるにつれて「夢」の選択肢は一つずつ減っていき、やがて自分が特別でもなんでもないことに気づくのだけれども……。そんな事実と折り合いをつけ、別の夢や目標に向かう人もいれば、ままならない現実から目をそむける人もいるのではないでしょうか。コミックス第1巻が発売中の『アンタイトル・ブルー』の主人公・荻原あかりは、幼少期に日本画の「神童」と評されたものの、才能の枯渇に直面し、日本画家の道をあきらめ普通の人として暮らしています。ところが、ある日出会った青年が、夢をすっかり諦めた彼女に激しい揺さぶりをかけていくことに――。


「天才も二十歳過ぎればただの人」とよく言いますが、24歳の荻原あかりが「神童」ともてはやされ、テレビで密着特番が組まれるほど注目されたのも過去の話。今は美術予備校の事務員として同僚にいいように使われ、「趣味・お人好し」と呼ばれています。

 

ある日、あかりは同僚に頼まれて、授業で使うための流木を海岸で拾っていました。遠くに白い灯台が見えるこの海は、かつてあかりが何度も日本画のモチーフとして描いてきた場所。そんなことを思い返しながら海を眺めていると、見知らぬ青年・臣がずぶ濡れで佇んでいるのを見つけます。

 

臣が自殺を図ろうとしていると思ったあかりが救急車を呼ぼうとすると、「誰か呼ぶならここで死ぬ」と脅されます。しかし、あかりは彼を放っておけず、車に乗せて自宅に連れ帰ることに。家に着いた途端に倒れ込んでしまった臣を見て、あかりも疲れ果てていつしか眠ってしまいます。

 

夜中に目を覚ました臣は、物置部屋で、あかりの日本画や画材を見つけます。筆を取ると、不敵な笑みを浮かべながら、一心不乱に絵を描き始める臣。あかりは慌てて止めようとするも、彼の姿と絵に思わず見入ってしまっていました。

 

明け方になって臣が描き上げたのは、あの灯台の見える海の情景。かつてあかりが数え切れないくらい描き続けても評価されなかったモチーフを、彼は圧倒的な画力と才気で描写してみせたのです。でも、臣は日本画に関して「ただの素人」だと笑うのみ。

そして、臣はとんでもない取引をあかりに持ちかけます。彼が描いた作品を「荻原あかり」名義で売ってお金を作るかわりに、自分を家に置いてほしいと。半信半疑のあかりは、自分が何百枚描いてもダメだったあの海を描いた彼の作品が、どう評価されるかを見届けたくなり、旧知のギャラリストに作品を持ち込みます。すると、その絵が本当に売れてしまい……。

「あの海を描いて人々の心を揺さぶるのは自分でありたかった」「絵が売れなければよかった」ーー日本画家の道はあきらめたはずなのに、心の奥底から溢れ出る醜い感情にさいなまれるあかり。

 

そんなあかりの未練を見透かすように、臣は「俺は あんたが見たかった景色の続きを見せられる」と語りかけます。その言葉に惹き寄せられたあかりは、彼の“共犯者”になることを決めます。

 

元神童の名前を持つ“器”となるあかりと、その”中身”となる謎めいた青年・臣。二人の出会いと秘密の契約は、やがて日本画壇やメディアなどを巻き込んでいきます。臣の才能に引っ張られるようにスポットライトを浴びることで、自分が成しえなかった夢のその先を見たいと熱望するようになるあかり。周囲に嘘をつき続け、時には秘密がバレそうになる危機に陥ったり、危ない橋を何度も渡ることになりながら、自らも筆を取って再び真剣に日本画に向かい合っていきます。

物語からは、何者かになれなかった自分、他人の絵を自分のものと偽る苦しさ、自らの奥に眠る表現への欲求などがひしひしと伝わってきます。他人との才能の差を実感したことがある人なら、誰しも自分ごとのように胸が締め付けられるのではないでしょうか。また、あかりや臣が命を削るように絵を描くシーンは、読み手を圧倒します。そこに、臣の正体の謎や、あかりの弟たちの心情も絡まり合い、緊張感のあるドラマが展開されます。大人なら一度は味わったことのある苦い思いに共感しつつ、あかりと臣がゴーストライターという関係を超えて、未来に向かって進んでほしいと思わずにはいられません。


ちなみに作者の夏目靫子さんは、アニメにもなった『おこしやす、ちとせちゃん』を「BE・LOVE」で連載中。かわいいコウテイペンギンのヒナが京都で暮らす様子を描いた微笑ましい作品と、本作が同じ著者ということをあとから知り、驚きました(アンタイトル・ブルー1巻の巻末には「おこしやす、ちとせちゃん」とのコラボマンガもあります!)。

無料公開をぜひチェック!
▼横にスワイプしてください▼

続きはコミックDAYSで!>>

『アンタイトル・ブルー』
夏目靫子 講談社

日本画の神童と称されたものの今や昔、家族を養うべく美術予備校の講師として働く荻原あかりは、ある日、海で自殺未遂の男を助ける。年齢も名前も不明な男から唯一わかることは、日本画のたぐいまれなる才能を持っているということ。 「俺が金つくろうか」「俺があんたが見たかった景色の続きを見せられる」 どうしても諦めきれない日本画家への夢に惑い、男に「荻原あかり」の名前を貸し絵を売ることに……。