逆走全開


「ど、どうしてバカにされるんですか!? 私が就職活動の頃は氷河期で、CAの募集が何年もなくて。ようやく再開したときは50人の募集に数千人が殺到しました。あの頃は受けられもしなかった子がたくさんいたのに、今の子はありがたみもないんです。YouTubeでプライベートを切り売りしてる子もいるし……私、とにかくみんなにちゃんとしてほしいんです!」

まずい、恋の現場としては、完全に逆走している。結子は途中からそんな考えが頭をよぎったが、勢いは止められなかった。久住は、しかしそんな結子に気を悪くする様子もなく、熱燗をくいっと飲みながら深く頷いた。

「結子さんは、CAにもっとプライドを持ってほしいってことか。CAになれた幸運を大切に必死に訓練して、プロとしていいサービスのために力を注いでほしいんだね」

「……そうかもしれない。でも、それは時代に合ってないし、押しつけがましいですよね。久住さんから改めてうかがうと、そう思いました」

結子は少しうつむいて、落胆を隠そうと箸を動かした。時代遅れの「CAプライド」を指摘されて恥ずかしかった。やっぱり失敗してる。デートのトピックじゃない。おまけに性格の悪さもすっかり露呈してしまった。こんな調子だからいくら見た目で男の人が寄ってきても、長続きしないんだろう。

 

しかし久住は、結子の想像を裏切ってハハハと明るく笑った。

 

「大丈夫だよ結子さん、それ普通だよ。だってさ、誰が新人研修でしょっぱなに帰る時間訊くんだよ。がっくりくるよね。僕も新聞記者に憧れて、学生時代はけっこう努力したんですよ。なんとか記者で内定したとき、嬉しかったなあ。でもいざ入ったら先輩が厳しくて、もう当時なんて新人記者は奴隷だよ奴隷! 甲子園の時期はずうっと球場に朝から晩まで張り付いて、球児全員のインタビューと写真とって、夜はしょぼいビジネスホテルで記事を書きまくって、挙句に全ボツとかね。半年くらい経った頃、あまりに厳しくて泣きながら逃げ出したことあったなあ」

「泣きながら!? 仕事中に? 逃げるってどこに行ったんですか?」

「えーと、当時付き合ってた彼女のとこ。僕はいつでも出社できるように、仕事場の近くのボロアパートに住んでたんだけど、そこだと首根っこ掴んで戻されるから。それで、紗矢の前で……あ、彼女の名前ね、『紗矢~俺もうブンヤ辞める』って声をあげて泣いた」

「久住さんが!」

結子は思わず笑いをかみ殺した。こんなに達観したように見える彼にも黒歴史があるとは。結子は人格者の久住に対して、ほんの少し近寄りがたくも思っていたので、距離が縮まるような気がして素直に嬉しかった。

「若いときってさ、どんなにやる気があったってそんなものかも。理想と現実のギャップをどう飛び越えるか、自分なりに思案してるんじゃないかな。それがちょっとクールに見えるけれど。きっとYouTubeに出てた子も、生きるのに必死なのかもね。大丈夫だよ、プライドがないかどうかわかるのはまだまだずっと先。彼女のとこに逃げ込んだり、出世街道外されたりしても新聞記者辞めずにしがみついてる僕を参考に、ちょっと長い目でね」

結子はくすくすと笑いながら、黙って食事を続けた。

何か話すと、この胸に広がった優しくてあったかい空気が逃げてしまう気がして、言葉を飲み込んだ。いつもこう。久住と話すと、最後はなんだか泣きたいような、ほっとした気持ちになる。やっとわかってもらえた、とほっとして、そういうことか、と納得できる。

いつかこの想いが実ることなんてあり得るんだろうか。彼も同じ気持ちで、告白をしてくれるなどということが。

……いや、42にもなって青春時代聴きまくった小室ファミリーの歌詞みたいなことを言ってる場合じゃない。そもそもこの小さな店を出たら何一つを共有しないこの関係性を、拡大したいというのは見当違い?

結子は答えを持たないまま、それでもひそかな幸福に包まれて、その夜を過ごした。