“貢ぎ物”にされた女性記者

 

情報を得るために“人脈”がものを言う政治記者という職業。セクハラをされる相手の職業も、もちろん議員とは限らなかったようです。

ある女性記者が「他社の男性記者」からセクハラ被害にあったのは、1990年代半ば。同じ記者クラブに所属していた男性記者たちと4人で飲みに行った時のこと。女性として飲み会に参加したのは、佐藤さんにセクハラ被害を打ち明けてくれたその記者ひとりだけでした。

「皆ほとんどが30代で、キャップだけがやや年長だった。楽しく過ごした後、キャップが夜回りのために呼んでいたハイヤーで自宅まで送ってくれるという。遠慮したが、『まあまあ』と皆に勧められ、キャップと2人で車に乗り込んだ。まず車中で身体を触られた。『やめてください』と言い、『早く車を降りたい』と願いながら、時間が過ぎるのを待った。そしてキャップが自宅まで送ると言い張るのを断り、自宅に着く前に車から降ろしてもらい、相手も一緒に降りようとするのを押しとどめ、何とか家までの残りの距離を歩いて帰り着いたのだという」

当時の状況を振り返り、セクハラ被害にあった女性記者はこんなことを考えたといいます。

「後から考えると、男性たちは皆、飲み会の後で何が起こるかわかっていて、キャップのためにお膳立てしたのだと思う。いわばグルだった。キャップはそういう噂のある人だった。私は狙われ、キャップに貢ぎ物として差し出されたのだろう」

 

大物議員秘書がディープキスを


セクハラの相手が「国会議員の秘書」というケースもありました。1990年代の終わり、大物議員の秘書から夜9時ごろバーに呼び出されたある女性記者。その秘書の誘い文句は、「大物議員に“食い込めていない”から相談にのってあげる」というものでした。

「しかし、バーに行ってみると、仕事の話はほとんどなく、秘書はチークダンスを踊ろうと誘ってきた。相手の機嫌を損ねるわけにはいかないと思い、嫌々ながらもチークダンスを一緒に踊っていると、耳元で『舌を出せ』とささやき、デイープキスをしようとしてきた。彼女はなんとかいなしてその場を切り抜け、その後は、秘書をにらみつけることでけん制し、再び何かやってきたら議員本人に訴えるつもりでいたという」