誘拐予告の背景の、複雑な事情


「沖縄発羽田行き1321便は、現在九州上空です。お一人でご搭乗されている沢田みゆきちゃん7歳は、沖縄空港でお祖母様からお預かりしています。羽田では、お母様の沢田佳子様が8番到着口にいらっしゃる予定です。

一人旅サービスをご利用ですので、機内でも3Aの席にて、CAがお世話をしています。コクピットから特に情報も来ていませんので、トラブルは今の所ないようです」

「でも羽田で誘拐される恐れがあるって書いてあるぞ! おいおい、一体こりゃどういうことなんだ?」

報告を聞いた課長が、つるりと禿げ上がった頭頂部のあたりを弱った、というふうに何度も撫でながら優子と咲月の方を見た。

「それにつきましては、沖縄空港のスタッフに先ほど電話をして確認しました。みゆきちゃんのお父様とお母様は去年離婚され、お母様がみゆきちゃんを引き取られたそうです。

ところがお母様の佳子様が入院することになり、2週間、ご実家がある沖縄にみゆきちゃんを預けられた。お祖母様は持病があり、飛行機に乗れないとのことで、やむなくみゆきちゃんはお子様一人旅サービスにて往復しています」

淡々と説明する咲月に、課長はいよいよ焦れたように叫んだ。

「それで? 誰がみゆきちゃんを誘拐するなんて話があるんだ!?」

「お父様です。協議離婚の後、一度も面会しておらず、絶対に会わせたくない事情があるそうす。ところが、今日飛行機に乗って沖縄から戻ってくることがお父様にバレてしまったそうで、お母様とお祖母様は、空港にお父様が来てみゆきちゃんを連れて行ってしまうのではないかと。以前にも、そのようなことがあり110番したことがあるそうです」

 

優子の補足に、いよいよ課長が泡を吹きそうになりながら天を仰いだ。

「おいおい勘弁してくれよ! 俺もうすぐ異動なんだ、頼むから警察沙汰はやめてくれ!」

芝居がかった課長の言葉に、咲月はジロリと彼を睨んだ。

「課長の進退はどうでもいいんですが、沖縄スタッフの話によると、お祖母様がおっしゃるには、お父様に連れて行かれたら、みゆきちゃんがどうなるかわからないと。何があっても絶対に、お母様である沢田佳子様に引き渡してほしいというご依頼です。たとえ父親を名乗る男が現れても、絶対に、みゆきちゃんを引き渡してはいけないと。

搭乗予定便がお父様にバレてしまったことから、予約していたフライトより1便早く、直前で予約変更されています。ところが、その連絡に行き違いがあり、お母様がフライトの到着時刻に遅れてしまうとのことで、私ども羽田のスタッフが30分ほど、オフィスでお預かりし、19時に到着ロビーにお送りするという手筈です」

 

優子と咲月は、長年の勘で、一歩間違えるとこの件はとんでもないおおごとになる可能性があると考えていた。

空港というのは、公共交通機関の宿命として、老若男女、あらゆる人が利用する。そして善人も悪人も、等しくここを通り過ぎていく。自分の常識では考えられないような悪意を持っている人間が存在するということを、10年以上の空港勤務経験で、二人とも嫌というほど知っていた。

「……わかった、それじゃあ、オールコールで情報を全員に共有しよう。みゆきちゃんは、必ずお母様のところに安全に引き渡す。トチ狂った親父のところには絶対に渡さないぞ。情報をまとめろ、山本、安西、バックオフィスにいる主要メンバーにはお前たちが直接伝えてくれ」

3人は、無言で頷き合うと、時計を見た。

沖縄便の着陸まで、あと1時間を切っている。