「そういうものなのだから」「殺すしかない」……やりたくなくても、意を汲んでしまう


佐野広実さんによるミステリー小説『誰かがこの町で』は、郊外の瀟洒な住宅街が舞台だ。「安全で安心な町」をモットーとしているこのコミュニティでは、19年前に一家失踪事件が発生していた。この謎に近づこうとする者を阻むのが、まさに同調圧力である。『「この町ではそういうものなのだから、従うのが当たり前だ」と、周囲から言われ、やがて何も感じなくなる』……作中のこの言葉は、私がこれまで見てきた実際の事件で目にした同調圧力そのものだった。

私は普段、さまざまな凶悪事件の刑事裁判を傍聴して記事を書いているが、事件においても同調圧力を感じさせる局面は多々ある。家族や擬似家族、詐欺グループなどによる殺人や傷害致死、死体遺棄事案では、しばしば「声の大きい人物」または「集団の中でなんとなくリーダー格となっている人物」の意に沿うようにメンバーが行動してしまう場合がある。

 

だいぶ昔に傍聴した、架空請求詐欺グループによる仲間割れに端を発した殺人や傷害致死などの事件では、グループの面々が拉致した被害者らに暴行を加えたが、そのあと、彼らを解放するか、どうするかが問題となった。自分たちのやったことが明るみになることは避けたいと、これはその時点ではメンバー全員の共通目標だったはずだ。ところがシャブ漬けにして放置するか、マグロ漁船に乗せるか……など、現実味のない案が飛び出すなか、リーダー格のものたちが「殺すしかない」と発したのである。そしてそのまま、他のメンバーを置いて、その場を立ち去ってしまった。最終的には途方に暮れたメンバーたちが、リーダーの意に沿うように、被害者らを殺害し、その死体を遺棄した。やりたくないことでも、場を仕切る者により、そうすることが当然であるように振る舞われれば、人はその意を汲んでしまう。