景気対策も同様で、先に金額が決まり、その後、各省からは政治家の意向を受けた予算要求が次々と出てきますが、景気対策とはほど遠い予算もたくさん含まれているのが現実です。

政府が予算を策定する際には、各省が予算要求を行い、財務省がその予算が妥当なのかを査定していきます。要求された予算が本当に政策目的に合致したものなのか、便乗予算ではないのかなど、ひとつずつチェックしていくわけですが、100兆円を超す巨額予算すべてについて目を光らせるのは困難です。

イラスト:Shutterstock

また、一部の予算については議員の力が強く、財務省が予算をカットしようとしても政治的圧力でひっくり返ることがザラにあります。

政治というものが、基本的に何らかの経済的利益に沿って動いている形態のことを「利益誘導型政治」と呼びますが、残念ながら日本は昔も今も、政治形態の基本は「利益誘導型」です。

 

日本は民主主義の国であり、最終的に誰を議員に当選させるのかを決めるのは国民自身です。加えて言うと公務員というのは、国民の代表である政治家が望む政策を、実務家として遂行するのが仕事ですから、政治家が望む政策を勝手に変更したり、その予算を阻止するということはあってはなりません。

そうなると、特定の人にしか利益が行き渡らない社会を作るのか、そうではない公平な社会を作るのかは、全て政治家次第であり、ひいてはその政治家に票を入れる私たち行動にかかっていることになります。選挙に行って、投票で意志を示すことがまずは大事ですが、できることはそれだけではありません。

身近な問題であっても、このお金の使い方はおかしい、ということがあれば、多少の軋轢があったとしても、しっかりと声を上げていく姿勢が大事でしょう。世論が大きくなれば政治家はその声を無視できなくなります。

人は自分の身近な人たちが関わっていると、おかしいと思ってもなかなか声を上げません。ムラ社会的な雰囲気が色濃く残る日本の場合、周囲に忖度することが日常茶飯事となっています。しかし、こうした行為こそが特定の利権を生み出す原因にもなっていますから、利益誘導型政治を生み出している責任は、私たち国民にもあると言えるのです。

社会を変えていくには、やはり身近なところから取り組むことが重要でしょう。

 

前回記事「ガソリン「200円台突入」に現実味…補助金延長検討も、ガソリン高騰が止まらないワケ」はこちら>>