息子の証言


「救命バッグはこれで全部! AEDあります」

CAが箱を広げ、中身を見せてくれる。聴診器、注射器、最低限の薬、点滴、生理食塩水、気管挿管キット。私は素早く確認した。

「AED使いますか?」

CAが緊張しながらオレンジのバッグを持ってきた。私は聴診器で心拍を確認する。

「心臓は動いているからAEDは脇に置いてください。持病やアレルギーの申告は事前にありましたか?」

「搭乗前に、とくに申告はありませんでした」

私は全身状態を急いで診察する。アナフィラキシーショックのように見える。短時間でこれほどの状態になる、アレルゲンになるものは?

彼は化粧室で倒れたといった。離陸してシートベルトサインが外れてから、倒れるまで、およそ1時間。その間に何があった? 私が寝ている間に何が……。

ふいに、寝ている間にシートテーブルに置かれた食事のトレーが思い浮かぶ。ハムとチーズのサンドイッチ。ミックスナッツにジュース。

「CAさん! この会社はミックスナッツにピーナッツ、入っていますか?」

「ピーナッツ? ええ、入ってます。マレー人はピーナッツが大好物ですから」

ピーナッツは、重篤なアレルギーを引き起こす場合がある。それゆえに機内食で出す航空会社は少なくなっていたが、この小さな航空会社は搭載しているらしい、

「彼のお子さんに、お父さんはピーナッツアレルギーじゃないかって聞いてください! お兄ちゃんはもう大きいから、知ってるかもしれません」

気道を確保しながら私が叫ぶと、CAは前方に走っていき、30秒ほどで戻ってきた。

「お父さんはピーナッツアレルギーだと上の息子さんが言っています! ただ、お父さんはずっと眠っていて、機内食は何も食べていなかったそうです」

 

脳裏に、離陸直後からアイマスクをして眠っていた彼の姿がうかぶ。きっとあのまま寝ていたはず。周囲が食事をはじめて、ピーナッツを食べ始める。重度のアレルギーの場合、ピーナッツを隣のひとが食べていて空気中に成分が漂うだけで、ショック症状を起こすことがある。だからたいていの機内食にはピーナッツは入れていないし、事前に申請すると、機内清掃の段階から気を付けてくれることもあるが、今回は悪い偶然が重なっている可能性が高い。

アナフィラキシーショックだ……!

 


「アドレナリンは? 機内にありますか?」

私が叫ぶと、CAは救命バッグからアンプルを出し、しかしそれを手にしたまま首を振った。

「アドレナリンの注射は、機内にドクターが乗り合わせていて処置できるときのために搭載しています。私たちが今、勝手に打つのは……原因がピーナッツだとは限らないし、脳梗塞みたいな病気だったら、勝手なことをしたら命にかかわります。機長にほかの空港に着陸してもらうように……」

「呼吸状態が悪すぎる。間に合わないです」

「そんな判断はできません! ドクターでもないのに……」

私はお腹に力を入れて、息を止めた。

もう二度と、使わないと決めていた。でも、ここで何もせず、あの兄弟のお父さんを死なせるわけにはいかない。

私は――

「医者です。医師免許を持っています。私の責任において、アドレナリンを注射します、アンプルを!」