どうせ女性のトップなんてムリ、だから「ゴルフや会食」に適応する方が現実的?


そんなことできるわけないじゃん、現実を見なよ、って言いたくなりますよね。でもこれまで「できるわけないよ」とリアリストを気取って世の中をナイスに変えた人っていましたっけ。なにも、頼光のように鬼と一緒に生贄の肉を食らって刀を振り回さなくても、これまでの常識や慣習を変える方法は見つかるはず。例えば女性幹部を増やすなら、頼光式よりもクオータ制の方が、はるかに早く大きな変化を起こせます。問題は、やるか、やらないかです。

頼光の話はこうです。「私らは時間をかけて酒呑童子の根城の奥まで入り込み、奇策で鬼を退治しました。でも皆さんはそんなエグいやり方をしなくても大丈夫、安心して山に入れます。もう鬼はいませんから、拐われて食われることもありません。のびのびと、今のやり方に合ったルールを作ってください」と。もし頼光が鬼の首を取らずに「酒呑童子とうまくやるには、一緒に血の酒を飲むことだな。それぐらいやらなきゃ鬼社会のメンバーにはなれないぜ。俺なんか、酒呑童子さんにすごい可愛がられてるんだぜ!」と自慢したらどうでしょう。失望するし、一緒に血の酒を飲みたいとも思わないでしょう。せっかく根城まで行ったなら、ちゃんと酒呑童子を退治しろよ、みんな困ってるんだから。

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まじで日本やばいなと思ったのは、このところ立て続けに、この「酒呑童子をやっつけるより、鬼との飲み会を上手く乗り切ることが肝心」と力説する御仁に遭遇したのです。ある会合で警察組織の体質改善について議論したとき、OBがこんな話をしました。「警察学校では、寮のタオルや布団の畳み方一つで厳しい叱責を受けて鍛えられる」「今だったらハラスメントと言われるような鍛え方でも、先輩は愛情を持ってやってくれていた。感謝している」「今はそれに耐えられないような人間が警官になっているからダメなのだ」と。私を含め数人の参加者が「いや、まさにそういう体質が残っているからダメなんでしょう」と反論したけど、ご当人は昔ながらのやり方を完全に正しいと思っているので全然話が噛み合わない。側から見ればいじめでしかないしごきでも、疑うことができないのですね。あくまでも主観が基準なので「自分は良かったと思っている」で、思考がロックされているのです。「入学や採用の際によく人物を見極めることが肝心だ」の一点張りです。そいつらに問題があるのだと。別に鬼みたいな怖い顔をして言うわけじゃありません。真面目に一生懸命そう説くのです。だから一層、厄介なのですね。

 


この国では、いずれの業界でも絶滅危惧種並みに少ない女性幹部。とある企業で数十年ぶりに女性役員が誕生したと話題になり、ご当人に話を聞く機会がありました。一体どうすれば女性幹部を速やかに増やせるのか。すると開口一番「ゴルフと会食、そして24時間危機対応に耐えられるかが問われている」と言うではないですか。その日も、地方での業界ゴルフ大会なのだとか。休日に地方のゴルフ大会に駆けつけたり、毎晩会食に顔を出すのが役員の仕事と聞いて、それはぜひやりたい、やりがいがありそうだと思う人は今の時代にどれくらいいるでしょう。ケアが必要な家族がいたら、無理だよね?