政治家が「先生」と呼ばれることの弊害

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——「国会議員」という仕事がストレスフルだから、一番近くにいる秘書がはけ口になっているということなんでしょうか?

舟木:私も最初はそう思ったんですけど、見ているとちょっと違ったんです。国会議員って、たとえ1年目でも周りからは「先生、先生」って持ち上げられるじゃないですか。それが人を変えてしまうんですよね。人間的に未熟な人であるほど、段々と特権意識が出てきて、はじめは謙虚だった人も信じられないくらい横柄で傲慢になってしまう。議員と議員秘書は、中小企業でいう社長と従業員、上司と部下の関係性のはずなのに、いつのまにか召使い、家来、奴隷に見えてくるみたいなんです。秘書を「人」と思っていない議員も多いと感じました。

——特別扱いされることで人が変わってしまうというのは想像できますが、元々は「世のため・人のため」にと政治家を志した人たちですよね。中にはずっと変わらず謙虚な人もいたりしないんですか?

舟木:もちろん、いるにはいるんですけど、そういう議員はなぜか選挙に弱いんです。勝てないんですよね。

——昨今の政治情勢を鑑みるといろいろ考えさせられるお話ですね……。でも、そんな過酷な環境の中でも「心身の健康を保っている秘書」もいたそうですね。

舟木:いました。やっぱり、目的があって議員事務所で働いている人は強いです。「自分はこの議員の地盤を引き継いで政治家になりたい」という目的があれば、目の前の仕事に「意味付け」ができますよね。過酷な中でも、「自分にとっての意味を見つける」というのは、とても大事なんです。これは「有意味感」と言って、書籍でもご紹介している「首尾一貫感覚」のひとつです。

 


「なんとかなる」と思える「首尾一貫感覚」とは?


——今おっしゃった「首尾一貫感覚」は、舟木さんのご著書『「なんとかなる」と思えるレッスン 首尾一貫感覚で心に余裕をつくる』の中で、「ストレスが高い状況にあっても、それにうまく対処して、心の健やかさを保てる力」として紹介されていますよね。もう少し詳しく教えていただけますか。

舟木:ストレス対処力とも言われる「首尾一貫感覚」は、3つの感覚から出来ているものなんです。1つめは「有意味感」といって、“どんなことにも意味がある”と意味づけができる感覚。2つめは「把握可能感」で、“だいたいわかった”といった感覚です。最後が「処理可能感」といって、“なんとかなる”という感覚です。

 


舟木:もう少し補足すると、「把握可能感」の“だいたいわかった”というのは、自分がストレスフルな状況に直面している時に、問題が起こっているのはなぜか、どう解決すればいいかを、順序立てて説明できる状態にあること。つまり、状況把握ができている感覚です。

そして「処理可能感」は、自分の成功体験、人脈、お金などあらゆる資源を駆使して、「これを使えば目の前の問題は解決できる」と思えること。手持ちの資源がこれだけあるのだから、なんとかなるだろうと思える感覚です。