“ハワイのマキさん”として知られる、ハワイ在住のカリスマコーディネーター、マキ・コニクソンさん。底抜けにポジティブで優しい人柄から、一度仕事で関わった人たちは、スタッフも芸能人もスポーツ選手も皆、彼女の虜になってしまうことで有名です。そのマキさんが、40代後半に入ってから始めた社会貢献活動。その具体的な方法は「私も社会の役に立ちたい」と考える読者の方々にとって、ヒントがたくさん詰まっていました。

(この記事は2019年8月23日に掲載されたものです)

 

マキ・コニクソン 1967年生まれ。東京都出身。ワシントン大学を卒業後、テレビ局に入社するも11ヵ月で退社。自由が丘に英会話スクールを開く。1995年にアメリカ人男性と結婚し、オーストラリア、ワシントンに住んだ後、ハワイに移住。日本メディアのロケや取材セッティングをおこなうコーディネート業務を手がけるように。そこで築いた交遊関係から、インスタグラムには多くの芸能人が登場し注目を集めている。多数のハワイ関連本だけでなく、『Maki’s happy theory ハワイのマキさんが教えてくれる幸福論』『MY TRAVEL,MY LIFE Maki's Family Travel Book』など多数のエッセイも出版している。

 

30代はとにかくガムシャラに働いた


ハワイ在住のコーディネーターとして、『モヤモヤさまぁ〜ず』、『アナザースカイ』といったテレビ番組のロケ、そして多くの雑誌の撮影・取材セッティングを手がけてきたマキ・コニクソンさん。彼女のインスタグラムには、仕事をきっかけに交流するようになった多くの人たちが登場しています。その顔ぶれは、仕事仲間からタレントの梨花さんやローラさん、さらにはかつて開いていた英会話サロンの教え子ファミリーと、驚くほど幅広い! また写っている場所も、ハワイだけでなく日本、カンボジア、アメリカと世界中。パワフル過ぎる行動力にも驚かされます。

「30代でハワイに移住して、コーディネーターの仕事を始めたんですが、“今が勝負だ”と思ったから、とにかくガムシャラに働いたんです。当時は産まれたばかりの子供もいたから、『ちょっと授乳行ってきまーす!』と抜けてはすぐ戻って、というような日々。本当に寝る間もない感じでした。40代になると頑張った蓄積が生きてきて、仕事もかなりやりやすくなって。皆、『マキならOKよ』と言ってくれるし、忙しかったけど楽しくてしょうがなかったですね」

その頃マキさんは、20年近く連れ添った夫とも離婚をしています。

「自立できたこともあって、45歳のときに離婚したんです。私も彼も仕事に生きるタイプだったので、家族でいるとどうしてもぶつかってしまう。でも他人になれば、多くを求めなくなるから許せるようになると思ったんです。それで2年かけて、『私たちは友達に戻ったほうがいい』とプレゼンしました。だから元夫とは、今も仲良し。2人の子供も一緒に、毎年家族旅行もしています」

一見、突飛に見えるマキさんの生き方だが、2人の子供さんも「自慢のママ」と認めてくれているそう。

「私は常に人生の目標を持っているんですけど、40代の頃までは2つあって。それは子供にカッコいいママと思ってもらうことと、私のキャリアをサポートしてくれた両親をたくさん旅行に連れて行くこと。父は5年前に亡くなりましたけど、そのどちらも叶えることができた。後悔は全くありません」
 

心の余裕が生まれた40代、社会貢献活動に出会った

底抜けに明るい笑顔が印象的なマキさん。人のいいところを見つける天才でもあるんです!

お子さんやご両親のためにも自身が信じるゴールに向かってずっと走り続けてきたマキさん。40代も後半にさしかかった頃には、仕事は完全に軌道に乗り、2人の子供も親元を離れほとんど手がかからなくなっていました。

「そうするとだんだん、『今度は自分の番だ』と思うようになってきたんです。お金も時間も自分が楽しむために使おう、と。それで美容にも力を入れたし、恋愛もしました。その頃知り合った彼とは、もう付き合って6年。結婚はしていないけど、ずっと一緒に暮らしていて、フレンチ婚の形態を取っています。そうやって自分の人生をめいいっぱい楽しんでいたら、心の余裕が生まれてきたんですね。『人のために何かしたい』と思い、東日本大震災の津波で親を亡くした子供たちをハワイに招待するなど、少しずつ社会貢献活動を始めるようになりました。そんなときに『メイク・ア・ウィッシュ』に出会ったんです」

「メイク・ア・ウィッシュ」とは、「願いごとをかなえる」という意味のボランティア団体。難病を抱える子供たちの夢を叶え、生きる力や病気と戦う勇気を持ってもらおうと設立されました。

「子供が通っていた学校で、その存在を知ったんです。知った当時はまだ仕事と子育てでいっぱいいっぱいで、私自身に余裕がなかったんですけど、ずっと頭の片隅に残っていて。それで子供が手を離れたとき、『メイク・ア・ウィッシュ』について知ろうとオフィスを直接訪ねたんです。もう、鳥肌が立ちましたね。話を聞いた瞬間から『何かしたい!』と強く思いました」

そこでマキさんは2万ドルを寄付。白血病を患う日系4世の少女のサラちゃんとその家族は、東京ディズニーランドとスタジオジブリに行くことができたのです。

「サラちゃんは病気の辛さもあって笑わない子だったんです。でも日本にいる間の写真は、全て笑顔でした。その夢を叶えて帰国した10日後ぐらいに残念ながら亡くなったのですが、最後に笑顔を見ることができて本当に良かったと思っています」

それをきっかけにマキさんは、様々な社会貢献活動を始めるようになります。