若さとは、加熱で例えるならば「制御できない火力」


昔の自分の作品に改めて向き合って、どう感じましたか? 穂村さんは以前、表現することは「加熱・発酵する」ことが大切と言っていましたね。

「僕がよく言うのは、表現は“サラダ”ではだめで、“野菜炒め”や“沢庵”のようでなければならないということです。

同じ野菜を使った料理でも、サラダのように作ってはいけない。どんなにきれいに盛り付けても、サラダは原材料に復元できる。それでは表現になっていなくて、野菜炒めや沢庵のようでなくてはならない。野菜炒めは加熱による不可逆的な変化がある。沢庵は発酵による変化がある。加熱なり発酵なりのプロセスを経た料理はもう元には戻せない。沢庵を大根には戻せないでしょう。そこに沢庵の価値がある。

だからどんなに見た目が沢庵の方がしょぼくてサラダの方が華やかでも、表現としての良さは逆なんです。ただ問題はどうすれば過熱、発酵できるのかと言うこと。方式のようなものは本当はないんです。逆に、それがあると表現と言うものは成立しないんです。表現は作者自身にも未知のブラックボックスを通過することになる。

そう言う意味で『シンジケート』を振り返ってみると、加熱で言うなら“火力”が違うなと(笑)方向性を制御できない火力っていうか……。これは“愚かさ”という言い方をしてもいいけれど(笑)、ここには隠しがたい愚かさの熱みたいなものがあって、恥ずかしいと同時に涙ぐんでしまう。もう今の自分はここには戻れない、という」

 

ベルトのロゴが気に入らなくて消しゴムで消そうとしてた頃


確かに、隠しがたい熱量は感じます。それが今の自分から失われてしまったことについては、残念に思いますか?

「今これがあれば良いとは思いませんね。おそらくこの中の良いところは消えて、ヤバいところだけが前面に出てしまうと思うから(笑)。

例えば、僕は昔ベルトを買って、そのベルトに入っているロゴが気に入らないということがあったんです。別に外からそのロゴが見えるわけではないんです。でもたとえ見えなくても、そこにあるのが許せなかった。それを僕は消しゴムで消そうとしたんです。でもなかなか消えなくて……消しゴムが半分になるぐらいまでこすり続けた(笑)。それなのに、ロゴはうっすらしか消えなくて、もっと変になってしまったんです。

今の僕なら、最初からそのベルトを買わないか、買ったらそのロゴが嫌だけど外から見えるわけじゃないからまあいいか、と思うでしょう。

しかし、この作品の中には、その頃の感じがあるんです。ロゴが嫌だからって専門業者に消してもらうとかじゃなく、自力で消しゴムでなんとかしようという思い込み。消しゴム一個でできる範囲のことをしよう、という感じがすごく強いですよね。

でも同じことを60歳でやってる人はどうでしょう。部屋で1人であのおじさん何やってるんだろう?『俺は消しゴムでロゴを消そうとゴシゴシしてるんだ』みたいな……。ちょっと面白いけど、そんなの専門家に任せろよって話になりますよね(笑)」