――ノーブル! なんでここに……

無重力のようにふわふわと幸せな気分から一転、現実世界に突き落とされ冷や汗が噴き出る。身体を硬くして、源二郎が去ってくれることを祈った。

「愛莉? どうしたの?」

困惑したギヨームの声に、恐る恐る視線だけで振り返ると、黒い影は消えていた。

 

この裏道には名画座を含め三軒のミニシアターが連なっていて、公開作品をチェックするだけでも楽しい。自分もよく通るくらいだから、同期と鉢合わせしてもおかしくはない。

「ごめん、ちょっと苦手な人が……」

なんでもないよとはしゃいで見せたけど、ギヨームは苦笑して、先ほどまでの甘いムードには戻らなかった。

源二郎なんかに邪魔されたことが悔しくて、私は歯噛みする。

「パリに何しにきた? 恋人探しか?」

そう馬鹿にされるのが怖い。私みたいな劣等生が、フランス人との恋愛について悩んでいるなんて知ったら、鼻で笑われるに決まってる。

いや、源二郎はそもそも私のことなんて眼中にないだろう。取るに足らない、どうでもいい存在。それなのに、勝手にびくついている自分自身に一番腹が立つ。

結局、気まずいまま映画を観ることになってしまったけれど、軽い恋愛コメディはデートの仕切り直しにはもってこいだった。

その後、レストランには寄らずギヨームのアパルトマンの近くでピザをテイクアウトした。フランスではピザさえナイフとフォークで食べるけれど、家なら人目を気にせず手摑みでがっつけるのがいい。くだらない冗談に笑い転げるうちに、自然と陽気な雰囲気も戻ってくる。

べたべたに汚れた手を洗い、デザートのアイスまで平らげると、私は前回来たときから密かに気になっていたものを指さした。

「あの四角い箱、なに?」

小さなリビングで異彩を放っている、大きな平べったい木箱。ギヨームは話題にされるのを待っていたかのように、ニマリとした。

「開けてごらん」

なにが入っているのか見当がつかず、わくわくと重厚な蓋を押し上げた。

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ギヨームのアパルトマンの寝室で、寝巻き用にと手渡されたのは……。

<新刊紹介>
『燃える息』

パリュスあや子 ¥1705(税込)

彼は私を、彼女は僕を、止められないーー

傾き続ける世界で、必死に立っている。
なにかに依存するのは、生きている証だ。
――中江有里(女優・作家)

依存しているのか、依存させられているのか。
彼、彼女らは、明日の私たちかもしれない。
――三宅香帆(書評家)

現代人の約七割が、依存症!? 
盗り続けてしまう人、刺激臭が癖になる人、運動せずにはいられない人、鏡をよく見る人、緊張すると掻いてしまう人、スマホを手放せない人ーー抜けられない、やめられない。
人間の衝動を描いた新感覚の六篇。小説現代長編新人賞受賞後第一作!


撮影・文/パリュスあや子


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