自分たちと本土人と分ける真意を、ドラマを通じて伝えてほしい


このような背景を踏まえれば、沖縄人が自分たちと本土人を分けて考える理由がお分かりいただけるのではないでしょうか。筆者は沖縄人の一人として、こうした沖縄人の真意が、『ちむどんどん』を通して全国の皆さんにも伝わればいいなと勝手に期待しています。やはり、ドラマという第三者目線で語ってもらうのが一番説得力がありますからね。

もし、上京後のヒロインが異邦人感たっぷりに描かれていたとしても、温かい目で見守ってほしいと思います。それは少なくとも沖縄人にはリアルな姿に映るでしょう。日本の言葉を話し、日本のニュースや芸能に触れながらも(テレビは本土の一部の番組を放送していました)日本人ではなかった、という特殊な経験は、本土に出ていったヒロインには壁になることが容易に想像できてしまいます。

「ちむどんどん」でヒロイン・暢子を演じる黒島結菜さん。

果たしてヒロインは、自分は日本人なのか違うのかというアイデンティティーの壁、地方出身者としての壁、そして、誰もが経験するさまざまな人生の壁をどうやって乗り越えていくのか──。世代こそ違いますが、筆者は上京時の自分と重ねながら一喜一憂できるのではないかと考えています。脚本の羽原大介氏は映画『パッチギ!』では在日コリアン、朝ドラ『マッサン』では日本人に嫁いだスコットランド人と、日本社会のアウトサイダーを描いてきた方なので、『ちむどんどん』にはドンピシャの人選だと思っています。

 


沖縄と本土との壁をどうやって乗り越えるのか?
 

ちなみに筆者が子どもだった1970年代後半の沖縄にもアメリカ世の面影は色濃く残っていて、たとえば車道はアメリカと同じ右側通行で、そこを左ハンドルの日本車が普通に走っていました。また、夕方になると焼きいもと並んで、アメリカンフードの代表ともいえるハンバーガーの販売ワゴン車が住宅地を回っていました。上京した1990年代前半にはかなり日本化が進んでいましたが、それでも現在と比べると本土との隔たりを強く感じていた記憶があります。

当時は安室奈美恵やMAX、SPEEDといった沖縄アクターズスクール勢がブレイクする前で、沖縄への注目度は今よりもだいぶ低いものでした。沖縄の方言もあまり知られていなかったので、ちょっとでも訛ると好奇の目で見られたり、明るい色の服を着ると「南国の人って原色が好きだよね~」とからかわれたりと恥ずかしい思いもしました。ただ、からかいついでに向こうから寄ってきてくれるので、友達作りには苦労しなかった、という良い面もありました。

そうやって筆者は引け目を感じながらもなんとなく東京になじんでいったわけですが、アメリカ世を経験し、筆者とは比較にならないくらい本土との隔たりの意識が強いであろう『ちむどんどん』のヒロインはどうやって東京に溶け込んでいくのか。放送前からあれこれと想像を膨らませています。もしかしたら、いわれなき差別に直面することもあるのかもしれませんが、案外、飄々とやり過ごしそうな気もします。「あ、自分はちょっと違うんだ」くらいな感じで。

そういえば筆者の父も「(東京にいた時は)いじめられたよー」とあっけらかんと話していました。必要以上に力まず、大ごとに捉えないことも一つの生きる知恵なのでしょう。自分の中にある沖縄人のDNAがそう教えてくれている気がします。


文/さくま健太
構成/山崎 恵

 
 
  • 1
  • 2