お金に糸目をつけないが勝ち?


首都圏の中学受験生は、通常1月から始まる埼玉、千葉の学校から受けていくことになるが、絵里花の本命は2月の東京。志望している学校を並べると、志望度が低い順に入学手続きが締め切られていく。当然、入学金を納め続けることは避けられない。辞退した場合はあとで一部返金してくれる学校もあるが、残念ながら絵里花の志望校はそうではなかった。

「埼玉、千葉、東京のどこか、3校合わせて入学金が90万……2月の学校に進学したら60万円は捨てることになるのね……」

以前なら、60万円、いや100万円だって絵里花の進学先が確保できるなら安いもの。そう言い切れたのに。

必要な金額を彰人に告げるのは明日にしよう。絵里花はPCを閉じた。

もちろん彰人が絵里花に関する出費を厭うことはない。しかし、毎晩会社の業績を睨み、必死に状況を打破しようともがいている姿を知っている多香子にとって、受験料と合わせて100万円以上準備してというのは心苦しいことだった。先月はすでに日曜特訓の授業料35万円が口座から引き落とされた。来月は冬期講習と直前特訓の分が引き落とされる……。

大した事はない。大丈夫、いくら経営が厳しくても、そのくらいはまだなんとかなる。

多香子は胃の奥がちりッと痛むのを、無理矢理意識のそとに追いやる。

 

いまさら降りられない、「港区レール」


「ああ~、直前期の受験生ママがこんなに忙しいなんて思わなかった。メンタルが持たないよね……。これって、共働きの人はどうしてるんだろう? はっきり言って想像もできないよ。専業主婦で良かった!」

6年生の日曜特訓はお弁当持参。多香子と明菜は近所に住んでいるので、昼時と夕方に合わせて弁当を届けるのが常だった。仕事がある成美は、朝のうちに2食を渡しているらしい。

「そうねえ……でもまあ、お仕事があったほうが、受験に集中しすぎなくて済むし、お金も稼げるし、それはそれで羨ましいかも」

多香子がつい本音を口にすると、明菜が考えたくもない、というふうに首を振る。

 

「無理よ、子どもの中学受験に伴奏して、働いて、家事してってそれってどこに母の息抜きタイムがあるの? こんなにハードなのに、仕事がメイン、とか考えられない。それにお金を稼ぐっていっても……時給2000円とかでしょ? なんの意味があるっていうのよ、教材代にもならないわよ」

――たぶん私も明菜さんも、時給2000円も稼げないと思う……。

多香子は、屈託のない明菜を、むしろ羨ましく思う。苦労知らずの明菜。美人で性格が明るくて、いつも人の中心にいる彼女は、結婚相手も文句なし。まだ彰人の会社の経営が順調だったころ、一緒にいろいろなハイブランドの展示会やプレス用のセールに出向いた。

東京育ちの明菜はいろいろなツテがあって、それを惜しげもなく多香子や成美に共有してくれる。3人で子どもを連れてディズニーホテルだ温泉旅行だといろいろなところに行けば、この世に憂いなんてない、ママ友最高、という気持ちになった。

同じ幼稚園で、偶然にも全員こどもはひとり、女の子。上の子や下の子がいるママ友よりもフットワークが軽く、動ける時間帯も長かった。距離はぐんぐん、近づいた。

ときには終わりがないかのように見える小さい子の育児も、友達と一緒なら苦労を分かち合え、楽しくかけがえのないものになる。三ツ星フレンチを食べに行けないかわりに、パーティルームで着飾ってデリバリーや出張シェフを楽しんだ。

「ママ友なんて怖いし面倒」と漠然と敬遠していた多香子にとって、同じ幼稚園に入園した3歳から、戦友のように、運命共同体のように、一緒に過ごしてきた明菜と成美の存在はありがたいものだった。できれば、この先も手探りの子育てを一緒にしていきたかった。

――でも、この場所で子どもを育てるのはお金がかかる。この先もずっと……。

絵里花たちが志望している学校は、超名門女子校で、どう考えてもそこに通うのは東京でもトップレベルに全てに恵まれたお嬢様たち。そこに、なんとしても絵里花を入れてやりたかった。それが絵里花が生きている世界線なのだ。友達と同じように目指して、努力している。途中から親の都合で「路線変更」なんてできやしない。

「そうそう、この前、知り合いのお嬢さんであの学校に通っているというからお話、きいてきたの。もうね、本当に凄かった!」

明菜の言葉で、多香子は現実にひきもどされる。マンションは目の前、塾から歩けばあっという間だ。

「え? 私たちの志望校? なにか有益なこと言ってた!? なにが凄いの?」

多香子は前のめりになる。ここまでくるとどんなささいな情報も逃せない。

「それがねえ」