そして何十回目の『怒りの日』が流れたのち、あれは確か金曜の深夜でした。夜中の2時くらいに仕事をしていると、クライアントからメールが。要約すると、こことここの要素が足りないので追加して、それを月曜には送ってくださいという内容でした。

これは大人のビジネスマナーに載せておきたい必須項目なのですが、深夜に来たメールを深夜のテンションで返しては絶対にいけない。終わらない書き仕事に疲れ切った僕は「それってもっと最初にそちら側がしっかり決めておくべき内容ですよね」という怒りのメールを投げ返しました。

結果、2日、返事が来なかった。

そして月曜の夕方、作業工程が増えていることのお詫びと、でもそれも含めてあなたの仕事ですよねというあちらサイドからの言外の怒りが読み取れるメールが届き、冷戦状態のまま、そのクライアントとの仕事はそれきりで終わりとなりました。

はたしてこの場面で僕が怒るのは正しかったのか。冷静に振り返れば、とりあえず飲み込んでおけば事なきを得たケースではありました。送信ボタンを押す手をグッとこらえ、さっさと眠ってしまい、朝になってもう一度メールを見返せば、「承知しました」と二つ返事で返すこともできた。本当、深夜のメール返信と、深夜に別れた恋人のSNSを見る行為は、百害あって一利ないので絶対にやめた方がいい。

 

ただ一方で、積もり積もったイライラとか、土日に仕事をさせる気満々のクライアント側の思惑とか、そういういろんな小さなことが僕の癪という癪をさわりまくっていた。自爆覚悟で一言言わないと、ボタンを押せばなんでも出てくる自販機扱いされ続ける気がした。

実際、そのクライアントとのお付き合いが終わったところで、当面の生活に差し障りはなく、むしろストレスの種がひとつ減ったと思えばプラスだったかもしれない。となると、やはり「怒る」ことは悪いことではないのだろう。

ただ、ここでひとつ問題がある。結局、僕は怒ったところで気持ちがスッキリする人間ではないのだ。むしろ怒りが鎮まった瞬間から、なんであんなことを言ったんだろうとあれこれ思い悩むタイプ。人に不快な思いを与えた罪悪感とか、裏で悪口を言われているんだろうなという後ろ暗さで気分が重くなる。これだったら、一瞬の感情に任せて怒ったりしないで、我慢した方がよっぽど精神衛生的にはいい気すらする。

大体誰にでも不手際や失態はあるもので、僕だって完璧な人間じゃない。誰かからすれば怒りたくなることだってあるだろう。それをいちいち怒り合っていたら殺伐とするだけ。殴り合うのは『スマブラ』ぐらいで十分です。

お互い大目に見ることで人間関係は円滑に回っている側面もあり、誰かに怒るということは、自分も怒られる覚悟を引き受けることになる。そもそも怒りっぽい人があまり好きではない。あの人は何をやっても怒らないと甘く見られるのも嫌だけど、あの人はいつも怒っていると思われるのもごめん被りたいのである。

だからこそ、「怒る」という感情とどう向き合っていくべきか、いまだに答えが出ないのだ。

怒るべきか、怒らないべきか。いっそメロスくらい激怒できたら、もうちょっと楽に生きられたのかもしれない。

 

 

イラスト/millitsuka
構成/山崎 恵
 

 

 

前回記事「スーパーで惣菜を買う高齢男性に「かわいそう」。自分の中の“色眼鏡”に辟易とした話」はこちら>>

 
  • 1
  • 2