弱者の声を掻き消す“ノイズ”をなくすために

 

車いすやベビーカーユーザーに対し、「譲ってもらったら感謝しろ」「譲ってもらって当然と思うな」という声は根強くあります。しかし、見落とされているのは、車いすやベビーカーユーザーにも、一般の人と同じように移動したり店舗を利用する「権利がある」ということです。その権利が制限されている場合、社会全体で回復させる必要があります。

さらに日本には、支援されるべきかどうかは同情できるかによる、本当に困っている(ように見える)人が救われるべき、という考えがあります。先ほどの車いすやベビーカーユーザーの話でもそうですが、申し訳なさそうにしているなら、または感謝するなら譲る、そうでないなら譲りたくない、という感覚があるのです。人権が守られるかはマジョリティの心証に拠るところが大きい、といえるかもしれません。

弱者が、憐れまれる「可哀そうな状態」に留まっている限りは同情される。しかし、彼らが自らを弱者に追い込んだ社会の問題を指摘し、権利を主張するとそれは否定的に受け取られ、「わがまま」「身のほど知らず」と批判されることも少なくない――。藤田さんも本書の中でそう指摘しますが、車いすユーザーが声を上げるたびバッシングされる背景には、こうした弱者が権利を主張することへのアレルギー反応のようなものがあるのでしょう。

 

日本の人権意識は発展途上


日本社会では権利を主張すること、声を上げることへのネガティブなイメージがまだまだ強いように感じます。例えば非正規労働者が賃上げを要求したりすると、「文句ばっかり言わず転職するなりして努力しろ」なんてバッシングにあったりします。しかし、人権の回復のためには、人権が守られていない事実を訴え、周知していくことが必要です。

日本の人権意識はまだまだ発展途上。人権は全ての人に無条件に備わっている、という共通認識がもっと広がる必要があります。人権とはどのようなことを指すのか。各国や国連が全ての人の人権が守られるためにどのような取り組みを行っているのか。何より、今の日本における問題と、政府がどのように問題に向き合っているのかを知るために、ぜひこの本を手に取ってみることをお勧めしたいです。
 


写真/Shutterstock
文/ヒオカ
構成/金澤英恵

 

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