今回の研修旅行については、一部報道ではほとんどが観光であり、研修になっていないとの指摘も出ているようですが、多くの国民は研修旅行そのものを全否定してるわけではありません。自身の振る舞いが、他人にどのような印象を与えるのかについて認識が欠如していることを国民は嘆いているのですが、本人たちにはどうもその感覚が理解できないようです。

仕事の一環として旅行に出かけている以上、観光気分丸出しの写真を嬉々としてSNSに載せることが不適切であることは、政治家に限らず社会人として当たり前の常識です。

松川議員のSNSより。問題の投稿は一部削除されたものの、リュクサンブール宮殿での記念撮影やエッフェル塔前での集合写真は「問題なし」と判断されたのか、現在も閲覧可能。

筆者もサラリーマンをしていた当時、会社の費用で海外出張に行ったことは何度もありましたし、空いた時間に観光したこともあります。しかし、日本にいる関係者に対して、観光地で撮った、楽しげなポーズを決めた写真ばかりを見せびらかせば、どのような反応が返ってくるのかは想像しなくても分かるはずです。仕事で海外に出かけているにもかかわらず、こうした写真をSNSに息を吸うようにアップしてしまう感覚がまず大問題といえます。

 

写真をアップしたことについては百歩譲って、その写真が批判された時、どう対応するかというのが次の問題です。

一般的な社会常識があれば「自分の行動は少々軽率だった」と考え、即座に「決して遊びに行ったわけではありませんが、この写真は非常識でした。国民の皆様にお詫びを申し上げるとともに、研修の成果は仕事でしっかりとお返ししていく所存です」とコメントを出せば、ここまで炎上することはなかったでしょう。

ところが近年のリーダーたちは、こうした批判を受けると感情のコントロールが効かなくなり、上から目線で猛然と反論し、事態をさらに悪化させてしまいます。おそらく背後には、自分は特別な立場であり、庶民とは違うのだという強い感情があると思われます。

では、かつてのリーダーたちに、そうした感覚はなかったのでしょうか。筆者はそうは思いません。

過去のリーダーにも、庶民とは異なる生活を送っている人はたくさんいましたし、自分を特別だと思っていた人もたくさんいました。今のリーダーとの最大の違いは、一般庶民と自身の違いを理解した上で、批判された時に、どのように国民を説得すればよいのか分かっていたことです。

筆者は、リーダーになる人物は、私たち庶民と同じような質素な生活をしていなければならない、とは思いません。しかし、社会のリーダーとして人の上に立つ以上、国民がどのような状況にあるのか理解し、説得する能力は絶対的に必要なものだと考えます。

近年、増大しているエリートの劣化は、人間性に問題があるのではなく、社会の状況を把握し、国民を説得するというリーダーにとって不可欠な能力が欠如しているという点に尽きると思います。

政治家が選挙で選ばれる以上、能力のある人物を選び出すのは私たち国民の責任ですから、事態を嘆いているだけでは何も改善しません。 リーダーとしてふさわしい能力を持つ人物を選挙を通じて選び出していく努力が必要でしょう。
 

 

前回記事「夏に胃腸薬やカイロが売れるのはナゼ?「暑さ」と「景気」の奇妙な関係とは」はこちら>>