障がい者は「弱い人たち」でも「守ってあげる存在」でもない


――御社の鼎談記事で、山本さんが次のように仰っていたのが印象的でした。
 


「多様性というのは、単に、障がい者、健常者を含めたいろいろな属性の方が同じ場所にいる、ということではなく、私たちは誰もが得意なこと、不得意なことを抱えていて、そのグラデーションの中で他者との違い・同一性に気づき、補い合うことなんですよね」
 


障害者雇用率制度の法定雇用率を満たすために、とりあえず障がい者を雇うけれど、補助的な周辺労働だけを割り振って、本人の能力が最大限活かされるかは二の次、という会社も中にはあると聞きます。ですが、障がい者を雇用したという事実だけで多様性が実現されている、インクルーシブである、とは言い難いですよね。改めて、雇用において多様性を実現するということはどういうことだと思われますか。

山本 「多様性とは何か?」というのは一概にはいえないところがありますが、一つ欠かせないのは「想像力」ではないでしょうか。誰にでも苦手なことがあり、互いに補い合いながら、あるいは互いに認め合いながら仕事ができる環境は、とても大切だと思います。ただ、常々マネージャーたちとも共通認識として持っているのは、障がい者は「弱い人たち」でも「守ってあげる存在」でもないということです。あくまでも私たちは対等な立場です。

何かしらの障がいを持つ、あるいは何らかの社会的弱者になる可能性は誰にだってあるんです。だから、障がいを持つ人も生きやすい社会を作っておくことは、将来の自分を助けることに繋がります。それが自分なのか、自分の子どもなのか、友だちなのかはわかりませんが、どんな人にも活躍の場が与えられる社会であることで、不利益を被る人はいません。

 

山本 気をつけないといけないのは、インクルーシブといいながら「自分の期待する型にはめよう」としてしまうことです。会社が目指すステップに強引に引っ張り上げてから“認める”のではなく、その人のまま受け入れる。この点にはとても気をつけています。

そもそも、障がいの有無にかかわらず、「誰かをありのままに認める」って案外難しいことですよね。それはきっと、自分の弱さの鏡でもあって、自分の弱さを受け入れられていないと、他者の弱さを受け入れることが難しいのだと思います。ですから、「他者を認める」ことから始めるのではなく、まずは「弱い自分」を認めてあげることが、多様性やインクルーシブな社会への一歩なのかもしれません。

 


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「他者への不寛容さは、安心感によって薄まっていく――障がいを持つ人もそうでない人も「能力を活かせる職場」とは」>>


撮影/鈴木 迅
取材・文/ヒオカ
構成/金澤英恵