「依存心」があると、本当の意味で愛せない


「愛を勘違いしている人が抱いているもの」で多いものといえば、「依存心」です。
「相手を必要とする思い」を、相手への愛情だと勘違いしてしまう人は少なくありません。
でも、それは、「相手への愛」ではなく、「自己愛(自己保身)」に過ぎません。(相手にとっての幸せはどうであれ)、自分が幸せでいるために、相手を必要としているからです。

パートナーの愛が冷めたことで恨み続けてしまう人は、自分の幸せを相手に託し過ぎていることが少なくありません。
だから、相手がいないと困るし、結果的に「相手は自分を不幸にした」と見なし、憎しみを抱くのです。

本当の意味で、人を愛せるようになるためには、それなりに精神的に成熟していないと難しいものです。
なかでも、「自立していること」は必要不可欠。自力で幸せになれない人は、相手を使って幸せになろうとするからです。それが、相手へのコントロールにつながることもあるでしょう。

パートナーに依存しない人は、相手に自分の理想を押し付けないようにします。できるだけ“ありのままの相手”を受け止めるようとするのです。

 

「所有意識」は自己愛の延長


「愛を勘違いしている人が抱いているもの」には、「所有意識」もあります。
そのパートナーは“自分のもの”だから大切にしていたにすぎません。だから、“自分のもの”ではなくなると、「今までの愛情を返して欲しい」とすら思ってしまうのです。

「“自分のもの”だから大事」というのは、“相手そのもの”を愛しているのではなく、自己愛の延長に過ぎません。

本来、人を所有できるものではありません。たとえ夫婦であっても、子供であっても、相手には相手の人生があり、自分には自分の人生があります。相手の人生に乗っかることなんて、本来はできないし、自分は自分の人生を歩むしかありません。

つまり、パートナーとの関係においては、お互いが「共に時を過ごしたい」と願うから、一緒にいるのがベスト。もし、どんなに相手が離れたくても、自分の手元に縛りつけたいと思うのであれば、「相手を支配したい」と言っているようなもの。そこに「愛」はありません。

このほかにも、「愛を勘違いしている人が抱いているもの」があります。特にこれを抱いていると、「自分は相手を愛しているのだ」と誤解してしまうものがあります。
それは何でしょうか。次のページで紹介します。