「女だから低くしてやろう」というのではない無自覚こそが厄介


「僕は全然ジェンダーを気にしないよ」と言う男性には、社会学者ケイン樹里安さんの「マジョリティとは、気にしないでいられる人たち」という言葉を墨で大書してお送りしたい。ジェンダー格差に気づかずにいられる・気にしないでいられるということが、まさに自身がマジョリティ側にある証左であることに気づいてくれ。つまりは、あなたには娘に見えている風景は全く見えておらず、娘の翼に錘(おもり)がつけられていることにも、自分が娘の足を踏んでいることにも無自覚なのですよ。

ああ、そこで「なんで怒ってるの? 僕を責めないでよ」と被害者モードに入るのもやめてほしい。これはあなたの行儀やお人柄の問題じゃない。日本社会の一員として、ジェンダー格差という構造的な歪みを是正する努力をしてくれと言っているのです。

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では、私はそれを実際に彼に言ったか。言いませんでした。それだけのコストをかけるのは無駄だと判断したからです。おそらく娘はもう父親には期待していないだろうし、この先は話の通じる人たちと生きていくでしょう。そして父親は同じような感覚の人たちと「なあ、俺たち気にしてないよなあ。あんなに騒がなくてもなあ」と言いながら老いていくのです。

 

私がさほど親しいわけでもない人に多大なエナジーを割いて説明しないのは、彼らがいずれ淘汰されることがわかっているからです。だけどこうしてエッセイに書いているのは、せめてこれを読んでヒヤッとする人がいたらいいなと思うから。俺はまあ、違うけどなと今思っているあなたは、大丈夫ですか。なんだか周囲の人の態度がそっけないと感じることが増えていませんか。気づけばいつも同じような人しか周囲にいないのではないですか。それはまさに、淘汰されつつある予兆かもしれません。

メルカリのニュースで、やはりなと思いました。実は、ずっと前から気になっていたのです。会社員だった頃、果たして自分の賃金は男性と対等だったのだろうかと。ボーナスの査定で「女性だから」と低く見積もられることはなかったのだろうか。もしそうだったとしても、おそらくそれは全く無自覚に行われていたことでしょう。査定する立場の人たちは、よし、女だから低くしてやろうとは思わなくても、女性の仕事はあくまでも「輝くため」で、命懸けの男の仕事とは意味合いが違うと思っていたんじゃないか……多分思っていただろうと思います。

そんな懸念を最初に抱いたのは、2018年のことでした。東京医大をはじめとした複数の大学の医学部の入試で、女性を不利にするような点数操作が長年にわたって行われてきたことが判明したのです。その理由は、女性は医師になっても子育てと仕事の両立が難しく、激務に耐えられず辞めてしまうのでせっかく入学させても無駄になるから、というものでした。医学界は、過酷で非人間的な医療現場の働き方を変える気はなく、それについてこられない女性を排除するという発想であることが明らかになりました。そのベースにあるのは「男は仕事に生きろ、女は家庭を支えろ」という強烈な性別役割分業意識です。これは医学界だけのことではありません。労働者を人間として見ていないから、結果として女性が職場から排除され、男性は過労死に追いやられるような事態が常態化しているのです。

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この点数操作問題の発覚は社会に大きなショックを与えました。勉強だけは裏切らないと思っていたのに……という女性の悲痛な声は私の周囲でも上がっていました。その時にふと、私も思ったのです。なぜ放送局の同期入社40人のうち女性は4分の1ほどしかいなかったのか。私の賃金は、果たして本当に男性と同じだったのだろうか。働いていた時には、どちらも疑ったことはありませんでした。なぜこんなに女性が少ないかと考えたこともなければ、男女で差をつけられているかもしれないとも考えなかった。世間知らずだったと今は思いますが、当時は私も「女性が少ないのはそういうものだ」と思っていたし、「同じように採用されたのだから当然待遇も男女差はないだろう」と考えていました。でも不安になりました。はっきりと明示はできない部分で、不文律が働いていたのではないか。