現実が苦しすぎて、思考を止めることでやっと息をしているひと

映画はこれまで日本映画界が避けてきたテーマに切り込んだ、企画そのものが掟破りのような作品です。「こんな台本初めて見た」というのが脚本の第一印象だったと、田中さんは言います。

田中:最初の頃のシナリオは今よりもっとメッセージ性が強く、本当に「どこかに向かって物を申している」という感じだったんですが、そこからだんだんマイルドに、エンターテインメントとしてのバランスをとって、今の完成形になりました。この映画に参加したことについて、「勇気がある。よく参加したね」と言われることが多いんですが、私はその台本を読み慣れてしまったのか、そんなにピンとこないんですよね(笑)。でもここまで社会に切り込んでいるというのは、確かにこのところの日本映画にはないのかもしれません。逆に日本映画で、こういう作品がこれまで作られていなかったのがびっくりで。

 

田中さんが演じる静子は、福田村で生まれ育った元教師・澤田智一の妻。田中さんいわく「少し感情として欠けているようなところや、何かを諦めてしまっているところがある女性」です。物語は、夫婦がそれまで暮らしていた朝鮮から帰国し、福田村にやってくるところから始まります。

 

田中:静子という役に、すごく引きつけられるものを感じました。セリフの響き、言葉の選び方、言動の奔放さ、そういったものから、映画の中で生きている、物語の中で生きているキャラクターだなと思えて、後を引くような感じで。私も結構変わり者なところがあるし、自分から遠いキャラクターではないな、演じられるなと感じました。

彼女は朝鮮にある国策会社の重役の娘なのですが、父親の会社が朝鮮人の土地をどんどん奪っていったのを見てきたんですよね。それによって自分たちはどんどん豊かになり、朝鮮の人たちの生活はどんどん苦しくなっていく、その気持ち悪さを彼女は感じていたんじゃないかなって、私は思ったんです。「上に立つもの」と「下で踏みつけにされるもの」の関係とか、差別とか、その原因を作った戦争とか、いろんなことが苦しすぎて、思考を止めて自分の世界を作ることで、やっと息をしている。でも何かの拍子にそれが吹き飛び、本来の正義感や人間的な熱さが出てくる。ここで立ち上がらなければとんでもないことが起こるという時に、本能的に反応できるところが彼女のすごい魅力だと感じました。