知らず知らず持っている考えをあぶり出す、フィルターのようなもの
 

小説を書いたきっかけには、自身が暮らすパリで見た移民たちの存在をあげていたパリュスさん。コロナ禍を経て、作品が描く世界や「隣人X」が示すものは、日本の私達にもより身近に感じられるようになっているような気がします。でも上野さんはそれとはまた異なる視点で、この作品を見ているようです。

パリュス:移民や難民については、私がこの作品を書いた時以上に議論されることが増えているように思います。特に日本では、亡くなった方がいたりして大きく取り上げられた、入国管理局の問題ですよね。いまだに同じ問題が続いていて、良くも悪くも物語の世界はより身近なものになっているかもしれません。こんなこと言ってた時代があったんだ、となれば、もう少しいい世の中になった証拠なんだろうなと。「今さらこれを映画にする意味があるの?」と言われるようになれば、いいなと思います。

 

上野:私は「X」については、誰もが知らず知らずのうちに持っている「フィルター」によって作られた虚像のようなものじゃないかと思いました。誰だって何かしらの「フィルター」を通して世の中を見ていますよね。偏見のフィルターによって得体の知れないXとなり、そのフィルターを外して見ると笹が良子を好きになっていくように、恐怖心はどこかに消え心を通して繋がっていく。

 

パリュス:知らない人やわからないモノとの付き合い方を描こうと思っていたので、上野さんの言う「Xはフィルター」という視点はすごく興味深いです。「X」という「異物」をどう見ているかに、その人の考えが現れるという面白さがありますよね。恐れるのか、面白がれるのか、慎重になるのか、とか。同じ考えだと思っていた人でも、異物への反応――フィルターによって、そうではなかったとわかったりする。それこそこの映画自体が「X」で、どんなことを考えたか、というのがまたひとつの指標になりそうです。