どのくらい幸せかは当人にしか測れないもの


先日は羽生結弦さんが離婚を発表しました。結婚して以来、加熱するファンや報道によって通常の生活が送れなくなっていたことを明かし、大切な人を守るために離婚を決めたという主旨でした。これを聞いて「ああ、大事なゆずが離婚してくれてよかった」と思う人がいるのでしょうか。「あの結婚は間違っていたのだからこれでいいのだ」とか。もしそうなら、それは愛でも応援でもなく、人を思い通りにしたいという支配欲ですよね。

とっても間違いやすいのですが、相手を大切に思うことと、相手を思うことは違います。この「大切に」という言葉に善なるものが宿っている感じがするものだからつい尊いと思ってしまうけれど、自分にとって大切なだけで実は相手の幸福とは無関係なのです。もし街中で知らない人にいきなり「あなたが大事なのだ」と言われたら怖いでしょう。「いや関係ないし、あなた誰?」と思うよね?

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アイドルや著名人を大事に思う気持ちは、その人の素晴らしさを讃え、世に広めねばという使命感を伴うことがあります。熱意を仲間と共有する喜びや、伝道活動によって自身の自尊感情を救済する作用はあるものの、果たしてそれがアイドル当人の私的な幸福にどの程度寄与するのかは不明です。幸福を実測できるのは本人だけなので、どれほどメディア露出が増えようとグッズが売れようと、その人の幸せを他人が測ることはできません。