制度的解決のためには「願い」や「わかる人にはわかる」の先が不可欠


国が同性カップルに結婚の自由を認めていない現状は憲法違反であるとして、2019年2月に「結婚の自由をすべての人に」訴訟が起こされました。札幌、東京、名古屋、大阪、福岡で同性カップルたちが訴訟を起こし、5つの地方裁判所の判決のうち、大阪を除く4つの判決で違憲であるとの判断がなされました。大阪の判決でも、違憲の可能性を示唆しています。裁判は継続中ですが、国は「注視する」としつつ、一貫して同性婚に後ろ向きの姿勢を示してきました。与党国会議員による性的マイノリティに対する差別発言も繰り返されています。

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話題の広告の写真はどれも素敵です。いくつもの、幸せそうな二人の笑顔。同性カップルもいます。広告の文言にある通り、周囲の誰がなんと言おうと、大切な人と一緒に生きる権利は全ての人にあるはず。「どうか選べますように」という文言には、同性カップルも結婚できるよう法律が変わりますように、という願いが込められていると読むこともできます。問題に直接言及せず、わかる人にはわかる形で婉曲に支持を表明する意図があるのかもしれません。それをキャッチして嬉しい気持ちになる人がいる一方で、ただほんわかとしたポジティブなイメージだけを受け取って、課題については知らずに終わってしまう人がいる側面も否めません。

いま訴訟が行われていて、差別発言をする政治家がいて、法的な婚姻関係を結ぶことを長い間望みながら果たせず無念のうちに亡くなった方々がいること。もしもいま自分が事故や急病で命に関わる状況になったら、パートナーはなんの後ろ盾もない状態で残されてしまうと不安に思いながら暮らしている人たちがいること。だから1日も早く、同性カップルにも結婚の自由を、と法廷で訴える当事者たちがいること。

 


それと「いろいろな愛があっていいよね! 自分はどんなカップルでも気にしないし、祝福するよ」と笑顔で語る人たちとの間にはギャップがあるかもしれない。

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私たちの「当たり前」は、幾つもの制度によって守られています。制度のせいで幸せになれない人がいるなら、制度を変えなくてはなりません。制度を変えるには、当事者が求めるだけでなく、「この制度はおかしい、変えるべきだ」という世の中の声を増やすことが不可欠です。

カップルをめぐる課題だけを見ても、同性婚や選択的夫婦別姓、事実婚など、日本では制度を変えるべき課題がいくつもあります。それは周りで見ている人が明るくハッピーな気持ちで「色々な人がいていいよね! 私は気にしないよ」というだけでは解決しません。