生きるのに必要なのは、住む場所、着るもの、食べ物だけではない


あなたをホッとさせてくれるものは、なんですか。アロマセラピーや素敵なリゾートもいいけど、案外、社食で同僚とランチを食べているときや近所のスーパーで買い物をしているときがリラックスタイムかもしれません。あまりにも当たり前で、なんとも思っていないような日常の繰り返しの中で、人は安心感を得ているのだと思います。

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休暇で思い切り解放感を味わえるのは、平凡で退屈な日常とは違うから。画面の中の誰かが輝いて見えるのは、見飽きた冴えない顔ぶれとは違うから。でも実は自分を守り支えているのは、身の周りにいつもあるもの。値引きシールのついたお惣菜を買って帰宅して、家族とどうでもいい芸能ニュースの話をして、風呂上がりにダサい部屋着でアイスを食べながら、無意識のうちに「ここがホームだ」という安心感を得ているのですよね。

 


それらが一瞬にして奪われてしまうのが災害です。全てをなくした人は、衣食住の最低限が満たされればいいのではありません。いつものお店で馴染みの店員さんと世間話をしておかずを買って帰る日常が戻るまでが、復興です。なぜなら、人は「お気に入りのもの」や「慣れ親しんだこと」によって生かされているから。ただ住む場所と着るものと食べ物さえあればいいのではないのです。

災害時には、避難所に大量の古着や賞味期限切れの食品、壊れたおもちゃなどが送られてくるそうです。善意からかもしれませんが、被災した人に対して「困っているのだから、きっと粗末なものでもありがたがるだろう」という気持ちがあるのではないでしょうか。それはともすると「ありがたいと思うべき」という思いになります。それが高じて、あるべき被災者像、あるべき困窮者像から逸脱した人を非難することにもなりかねません。