「推し」に傷つけられないための、せめてもの方法

映画のさらなる面白さは、そうした「ズブズブな状態」は、実は「アイドルオタク」だけではないことをも示していること。実のところ彼女たちは何も特殊ではなく、誰もが何かしらにハマり、誰かしらに自分を同一視しています。多くの人が「推し」を欲し、必要とするのはなぜなのでしょうか。

 

オ・セヨン監督:人はなぜ推しを求めるのか……なぜなんでしょうね。今話していて思い出したのですが、当初は“偶像”についての話を映画にしようと思ったんです。芸能人のファンだけでなく、なぜ人間は誰かを支持し、応援し、信じるのか。そう言うものの中には宗教も含まれますよね。私は無宗教なので何もわかっていないせいかもしれませんが、なぜ見えない神様を信じるのか、なぜ毎週その方に会いに行かなければならないのかと考える人も多いですよね。今回は私の実力不足でそこまでは到達できてはいないのですが、結局のところ人間って、自分だけを信じて生きていくことが難しいのかもしれないですね。本当に自分が信じられる人、尊敬できる人がいると、何かしら目標とする場所が見えてくるからじゃないでしょうか。すごく難しい話ですが、そんな気がします。


さておき。話は戻って、熱烈に愛した”推し”を失ってしまったセヨンさんの中には、どんな変化が訪れたのでしょうか。


オ・セヨン監督:昔は持っていたけれど、あれ以来、感じられなくなってしまった感情、というのはあると思います。かつてはテレビの画面の中のスターと目があった! という瞬間に、「私、この人が好きになっちゃったかも!」なんていうふうに恋におちていたし、なにか本当に純粋な気持ちで、その人のすべてを美しく考えていたと思うんですが、今は誰かを好きになりそうになると常に「この人、まさか悪い人だったりして……変な人だったりして……」と疑うようになってしまったし、素敵な姿を見て「だからすごく好き」と口にしながらも、すごく変な疑いの眼で、矯めつ眇めつ見てしまうんです。つい最近も、話題のボーイズグループ「RIIZE」にちょっと問題が生じていて、「あいつら、本当に若くて純粋で優しいと思っていたのに……」と言いながら、訳もなくがっかりしたりして。こうやって話していると、たまにふっと蘇るような気もするんですけど、以前のように100%純粋な愛情を捧げることはできなくなってしまいましたね。

でも「そういう状況はさみしい」というよりも「そういう態度は必要なこと」と言う思いのほうが強いと、セヨンさんは考えています。

オ・セヨン監督:だって結局は、好きになりすぎて傷つくのは自分じゃないですか。だから好きになりすぎなよう努力することも、私は必要だと思うんですが――ここで問題なのは「彼は大丈夫なのか? なにか疑わしいのでは?」なんて思ってる時点で、もはやその人に関心があるってことなんです。そのせいで警戒心が鈍り、結局はまた傷つくハメになるわけで、なんだか意味ないんじゃないか? という気もしています(笑)。ただ最後にもう一言だけ念を押したいのは、テレビの中にいるアイドルや芸能人の中に私達が見ることができるのは、その人のとても小さな断片ーーそれもその人が「周囲に見せたい」と思っているかっこいい姿だけだということです。カメラが回っていないときの彼らの姿を、私達は一生涯知ることはできない。傷つかないためのせめてもの方法は、それを常に忘れないことなのかなと思います。

 


 INFORMATION 
『成功したオタク』

3月30日(土)より シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
配給・宣伝:ALFAZBET

 

あるK-POPスターの熱狂的ファンだったオ・セヨンは、「推し」に認知されテレビ共演もした「成功したオタク」だった。ある日、推しが性加害で逮捕されるまでは。突然「犯罪者のファン」になってしまった彼女はひどく混乱した。受け入れ難いその現実に苦悩し、様々な感情が入り乱れ葛藤した。そして、同じような経験をした友人たちのことを思った。

信頼し、応援していたからこそ許せないという人もいれば、最後まで寄り添うべきだと言う人もいる。ファンであり続けることができるのか。いや、ファンを辞めるべきか。彼を推していた私も加害者なのではないか。かつて、彼を思って過ごした幸せな時間まで否定しなくてはならないのか。

「推し活」が人生の全てだったオ・セヨン監督が過去を振り返り傷を直視すると同時に、様々な立場にあるファンの声を直接聞き、その社会的意味を記録する。「成功したオタク」とは果たして何なのか?その意味を新たに定義する、連帯と癒しのドキュメンタリー。


取材・文/渥美志保
構成/坂口彩