災害の多い国だからこそ、命を繋ぐだけで終わらない人間らしい援助を


​今回、避難所生活について「スフィア基準」という言葉がよく聞かれるようになりました。紛争や自然災害の被災者に対して、NGOや国際機関などが支援を行う際の最低基準です。被災した人は人間として尊厳ある生活を送る権利があり、援助を受ける権利があること、被災者の苦痛を軽減するために実行可能なあらゆる手段がつくされるべきであることを定めています。最低基準ですから、プライバシーの守られた空間で温かく安全な生活を送ることができるようにすることがまずは当然で、それに加えて、人間らしく尊厳の保たれた生活を送れるようにするための援助が不可欠です。

写真:Shutterstock

被災した人が望むものには、一見命を繋ぐための必需品ではないように見えるものもあるでしょう。おろしたての下着や、サイズのあった好みの衣服や、美味しいお菓子とお茶や、面白い本。それらを贅沢とみなすのは、困っている人はずっと困っていろと言うようなものです。日頃私たちを安心させているのは、命には直結していないものばかりです。シャンプーの香り、セーターの着心地、歯ブラシの硬さ、カーテンの色、出汁のきいたうどん、好みの硬さのご飯などなど、これじゃないと落ち着かないなあというものはたくさんありますよね。全てを失った人が、そうしたお気に入りや安心を望むのは決して贅沢ではありません。全てを失ったからこそ、一つでもお気に入りのもの、使い慣れたもの、心地いいと思えるものが必要なのです。

 


日本は自然災害が多い国。誰しも被災する可能性があります。にもかかわらずいまだに被災者に対して、「命があるだけでもありがたいと思え、不平不満を言わずあるもので我慢しろ」という発想が根強いように思います。昨日までいつも通りの生活をしていた人が、全てを奪われた途端に名前のない「被災者」になり、文句の言えない立場の人にされてしまうのは理不尽なことです。被災しても、全てを奪われても、その人がその人として大切にされ、1日でも早くお気に入りのものを使い、他愛ないことに笑えるように。国は日本のどこで災害が起きてもスフィア基準を満たす支援が可能になるよう、自治体と連携して整備を進めてほしい。トイレにも困るような雑魚寝の避難所を、過去のものにしてほしい。

災害時にはSNSで心無い言葉や偽情報が出回り、目に入ると不安が増します。その一方で、今回は過去に避難生活を経験した人が注意点をシェアしたり、被災した人に励ましの言葉をかけているのも目にしました。ひとりの小さな呟きが、誰かに届いて支えになることはきっとあると思います。自治体や報道機関の有用な情報をシェアすれば、たとえ自分のフォロワーは少なくても、人から人へと情報が手渡しされて誰かに届くかもしれません。そういう細い糸が束になって多くの人の命を繋ぎ止めることもあります。大きな災害が起きた時に自分は無力だと感じるのは自然な反応ですが、そんなことはありません。小さくても、自分にできることで支援を続けましょう。

 

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