一番変わってしまったのは、じつは私だった!?


娘の受験も終わり、あとは春休みを待つばかり。しかしその前に、娘の卒対(=卒業対策)がありました。卒対委員は倒れる前に決めたため、編集ライターである私は「卒業アルバム隊長」になっていたのです。

そこで足繁く学校に通い、ミニアルバム(写真館によるアルバムにつける、おまけアルバム)用の写真をせっせと撮る私。もちろん、写真館と連絡を取り合って、通常のアルバムも制作も進めていきます。

2月ころにはなんとか、プルプルしながらも右手の人差し指でシャッターが押せるまでに回復。夫が「左手だけで支えられるように」と、以前使っていたものより軽量の一眼レフカメラを買ってくれたのでした。

3月の誕生日に、娘と息子から贈られたカードや手紙。「帰ってきてうれしい!」という息子の言葉に感無量。思春期真っ只中の娘による「I love U」には、正直「ホントか!? ならばもうちょっと……」と思ってしまった。

退院から3ヵ月が経ち、すっかり元に戻ってしまった子どもたちと、小うるさくなった夫。そして私はというと……、あんまりよろしくない変化がありました。

 

その変化とはずばり、すぐイライラするようになったこと。

もともと子どもたちにはキレがちでしたが、身体が思うように動かないもどかしさがプラスされて、さらに激しくなった気がするのです。

さらに「私は前と違う身体なのに、どいつもこいつも甘えやがって!」という感情がどうしても湧いてきてしまい……。家族に対して、すっかり短気になってしまいました。

よく脳卒中の後遺症として「怒りっぽくなる」という現象が挙げられますが、それって脳がダメージを受けたことだけが直接の原因ではないのかもしれない、と思うのです。

だって、以前のように言葉が出てこなかったり、思うように身体が動かなかったり、という状況には本当にイライラしてしまうから! 

「自分でできることはやって! あんまりお母さんをイライラさせないで!」などと言っても、子どもは子ども。そうそう都合よく、思うように動いてくれません。

血圧を上げないためには、いろいろあきらめるしかないのかなあ、と思う退院3ヵ月後の私なのでした。


>>次回は、退院3ヵ月後の身体の回復やリハビリについてです。
 


文/萩原はるな
写真/萩原はるな、Shutterstock
構成/宮島麻衣

 

 

連載第1回 48歳2児の母、突然脳卒中で倒れた日「右手右脚が動かない」>>

連載第2回 脳卒中で倒れた48歳女性のリアル入院生活「仕事、家族は?思い当たる原因は?」>>

連載第3回 脳卒中の涙のリハビリ...回復に役立った意外な趣味【48歳ワーママ闘病記】>>

連載第4回 脳卒中で倒れた母の心配は「育児をしない夫」。2週間の不在、子供はどうなった?>>

連載第5回 トイレも一人で行けない...脳卒中のリハビリ開始!医師から言われた衝撃の一言>>

連載第6回 ひたすらお手玉落とし、暗算...地味でつらい脳卒中のリハビリ時間割【48歳ワーママ闘病記】>>

連載第7回 脳卒中リハビリ入院中の一番の楽しみはお風呂!意外な身のまわり事情>>

連載第8回 食い意地は最高のリハビリ!不器用な左手でも食べたい病院食メニュー 【48歳ワーママ脳卒中闘病記】>>

連載第9回 長いリハビリ入院生活、大切なのは患者同士の人間関係【48歳ワーママ脳卒中闘病記】>>

連載第10回 突然の訃報も...ワンオペ母の長期入院、残された家族の生活は?【48歳・脳卒中闘病記】>>

連載第11回 ​利き手を使わず料理、運転、パソコン...退院に向けた最後のリハビリ【48歳・脳卒中闘病記】>>

連載第12回 ​不安ながら退院...帰宅前に病室からポチったアイテム【48歳ワーママ脳卒中闘病記】>>

連載第13回 脳卒中で倒れた48歳ワーママが退院し帰宅。大好きな料理も「おにぎり3つ握るだけで30分かかる」>>

連載第14回 脳卒中退院後のお仕事事情。フリーランス、仕事はあるのか?できるのか!?>>