義母のお誕生日ナイトに10万円は妥当な出費か?
「お義母さん、お抹茶は大丈夫、晃司さんも帰ってくるしお夕飯作らないと……15分くらいで失礼しますね」
「いいのよ、いいのよ、さっと立てるだけ。お菓子、美味しそうね」
早苗は涼子の話は耳に入らない様子で、それでも確かに慣れた手つきでお薄を二人分立てると、運んできてくれた。
「わあ、いい香りですね……! それじゃあ、お作法もなにも分かりませんが、いただきます」
涼子は、品のいい茶器を両手で包み込んで、一口飲んだ。これまで茶道とは全くの無縁だったので、お作法もなにもわからなかったが、早苗の気安い立て方のおかげで、心配せずに味わうことができた。美味しい。駆け抜けてきた1日の、肩に入った力が少しだけ抜ける気がした。
「それで、旅行なんだけど、お夕飯はフレンチと懐石は、みんなどっちが良さそう? 前から行ってみたい箱根のお宿だったの。旅館にしては珍しくフレンチも楽しめるみたいで、私はどちらでもいいから、涼子さんからみんなの希望のほうを予約しておいてもらえる? お誕生日だから、フレンチのほうが華やかかしらね?」
「お義母さん、そのことなんですけれど……」
「ああ、お宿代のことよね? 大丈夫、自分のぶんは自分で出すわ! ちょうどさっき、涼子さんに渡そうと思って下ろしてきたのよ、はいどうぞ」
早苗はウキウキと立ち上がると、銀行の封筒に入ったお金を差し出してきた。3万円、メモしてある。ということはこの宿は、涼子たちが4人分を出したら10万円を超えてしまうだろう。特に希望していない旅に、そんな大金を払うのはやはり腑に落ちなかった。
レジャー代としてへそくりもあったが、せっかく次女の受験が終わった夏休み。どこかに家族水入らずで旅行にいけたら、とわくわくしながら貯めたお金だ。それをなんでもない土日に使ってしまうわけにはいかない。だいたい、旅行は家族4人で気兼ねせずにいきたい。さっきから家族旅行、と連呼しているが、一体早苗と涼子一家は本当に家族、なのだろうか。そこには薄いにせよ、やっぱり仕切りがあってしかるべきだろう。晃司にとっては母だが、やはり自分にとっては……極めて近しい他人なのだから。
「お義母さん、すみません、昨日みんなに予定を確認したんですけれど……来週の土日は部活や接待ゴルフで、みんな忙しくて、御一緒できそうもないんです。キャンセルが必要ならば、私からしておきましょうか。今度、横浜とか、木更津とか、晃司さんに車を出してもらって日帰りならば」
涼子は、そこまで言うとハッとして口をつぐんだ。早苗の顔色が明らかに変わった。
「それじゃ、涼子さんは私に誕生日は一人っきりの家で過ごせっていうの?」
誕生日誕生日って付き合いたての女子大生か、とつっこみたい気持ちをぐっとこらえて、涼子は頭をふる。
「いえ、お義母さんのお誕生日がどうっていうことより、急な遠出が難しくて……なんならその日の夜は、うちにいらしていただけたら、私はいますから一緒に」
「結構よ! 無理矢理祝ってもらったって誰が嬉しいものですか。涼子さんも顔に書いてあるわよ、面倒だって。もういいのよ、嫌々ならば結構です、一人で優雅に楽しむわ。さあ、ご飯の支度があるんだったわね、わざわざそれを言うために来てもらって悪かったわ」
早苗は唖然とする涼子を追い立てるように手を振ると、それからはもう取りつく島もなく、挽回のチャンスはないまま、涼子はマンションを出された。
こうなってはどうしようもない。涼子は肩を落とすと、とぼとぼと帰路についたのだった。
困惑する涼子に1本の意外な人物からの電話。そして明かされる、意外な早苗の秘密とは?
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