380万円の行方


「里香さん、こんにちは、3ヵ月ぶりですね。今日はいかがいたしましたか?」

週1回クリニックに通っていた里香が、突然3ヵ月も音沙汰がなかったことを、優子はさして問題にはしていないようだ。いつもと寸分違わぬ笑顔で、にっこりと笑った。

「優子先生、ご無沙汰しています。ちょっと揉めていて、来る暇がなくて」

「揉めていたんですか?」

優子が、意外そうに眉を上げた。かすかに、額にしわがよる。30代後半にも見えるが、夏美よりも年上らしいときいた。もしかすると、50歳に近いのかもしれない。

「ええ、夫が出ていってしまって。正式に別居、という形になっています。別居に正式もなにもないか」

「まあ、それは大変でしたね」

優子は慈愛に満ちた眼差しで、里香を見た。まるで、「お天気が悪くて残念でしたね」とでもいうように。

そう、優子ははじめから味方ではない。もちろん敵でもない。役に立ってくれてはいるが、里香の人生のなかで苦楽をともにしてくれる、主要な登場人物ではない。

――でも私の人生に、そもそも主要な人物なんていたのかな?

そう信じて、共に生きようと誓った夫さえ、こんなにあっさり離れていくのなら。

 

「さて、里香さん、今日はどういたしましょう? なにかお肌にお悩みがありますか?」

優子は、先ほどの会話などなかったかのように、にっこりと笑って尋ねた。

 

何をしてくれますか、と尋ねようとして口をつぐんだ。思えば里香は、他人に期待しすぎているのかもしれない。

慶介に対しても、結婚生活に対しても、知らずに過度な幻想を抱いてはいなかったか。都会の自由な夫婦を気取った里香の幻想が、慶介を追い詰めたとしたら?

やり直せるポイントはどこだったのだろう。こちらに落ち度はないと自分に嘘をついてきたけれど、「男と女」にきっとそんなことはあり得ない。ルールを破ったのは慶介だったけれど、そうさせる原因は里香にもあった。

だけど、ほかにどんなやり方があったのだろう? 里香が里香である限り、生き方は変えるのは難しい。理想のために多少無理をしてでも努力する、それが里香の生き方だった。

「……先生。私、ずっと38歳に見えるように、とお願いしてましたよね。でもそれじゃ足りなかったな。28歳にしてください」

「28歳、それはなかなか」

優子は笑いをかみ殺しながら、こちらを見た。

「お金は、あと380万円あります。これ、全部使って、美容外科のお医者さんを紹介してください。美容皮膚科じゃ、足りなくて」

優子は、できるとも、できないとも答えなかった。

「28歳に戻ったら、なにが起こるんですか?」

首をかしげ、優子が尋ねる。

「さあ……どうだろう?」

里香は、喉の奥でくつくつと笑って、いつの間にかあふれた涙を指先でぬぐった。

構成/山本理沙

 

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