「僕たち、結婚したら湘南のほうに住もうと思ってるんだ。うちの会社もついにリモートワークが週に2日できるようになってね。真凛のアトリエは横浜だし、環境のいいところに住むことにした。真凛の友達がいい部屋を紹介してくれてさ」

「湘南!? そんな光輝、あなた白金で育って恵比寿に住んで、どうしていきなり湘南なのよ!? そんなところ、虫だっていっぱいいるし、通勤時間だって……環境なんて、ここら辺が教育には一番いいに決まってるじゃないの」

理解が追い付かない早穂子は口をパクパクさせ、気色ばんだ。縁もゆかりもない神奈川県の海沿いに住むだなんて、一体光輝に何が起こったのか。それもこれも、全ては真凛の入れ知恵に違いない。早穂子は今度こそ真凛を睨んだ。

「真凛さんが湘南に住みたいのね? いくらなんでも、光輝の会社は丸の内よ、仕事が忙しい夫の職場を優先して考えるのが当然じゃないかしら」

「えー、私も通勤時間は心配したんですけど、東京駅から湘南新宿ラインが出てるから大丈夫って。まあ、私のほうが仕事、夜遅いですからね、保育園にお迎えに行くことを考えると横浜と東京の真ん中くらいがいいかとは思ったんですけどねえ」

真凛は早苗のケンカ腰にまったく反応せず、のんびりとフィンガーフードをかじっている。

「お母さん、真凛じゃないよ、湘南に住みたいのは僕。子育ては自然があるところでしたいんだ。狭くて競争ばっかりの都心なんてもううんざりだよ。もちろんお受験なんてしないから。僕は小学校も中学校も大学も受験させられたけど、大学受験だけで充分じゃないか、ばかばかしい」

――ばかばかしい!? 

早穂子は今度こそ怒りが頂点に達し、思わず立ち上がった。ベージュの爪が手のひらに食い込んでいた。

 


母の想いと、息子の真意


「光輝、そのばかばかしい受験のおかげで東大に現役で入ったんでしょう! あんな大きな銀行の本店に配属されたのだって、同じ中高出身の本部長が目をかけてくれたからだって言ってたじゃないの。自分だけ恩恵を受けて、子どもにはその機会を与えないなんて、そんなことが許されると思ってるの!」

はっと気づくと、周囲のソファの人がこちらを見て眉をひそめている。楽しい場で迷惑な振る舞いをしてしまったことに気づいて、早穂子は赤くなり腰を下ろした。

 

「お母さん、学校で勉強させてもらったことは感謝してるよ。でも、僕は窮屈だったし、同じことを子どもに強要するつもりはないんだ。僕が何年塾に通ったか、考えたことある? 生れてから18年間、塾に通わなかったことはなかった。体は細いし、水泳も25メートルがやっと。キャンプに行ってもテントの張り方を知らないし、野球もロクにできない。子どもにはゴルフや乗馬より、サッカーやバスケを友達と楽しめるようになってほしいんだよ」

周囲を気遣って押し殺した光輝の声には、かえって抑えきれない怒りがにじんでいた。早穂子は絶句し、息子の顔を見る。

こんなことを考えていたなんて。なぜ、一言でもそう言ってくれなかったのか。光輝はいつだって、早穂子と二人三脚で頑張ってきた。むしろすべてに積極的に取り組んで、それをサポートするのが早穂子の役目だったはずなのに。嫌々やっていたというのなら、これまでの27年間で息子の真意を見抜けなかった自分は……母親失格ではないか。

「まーまー、二人とも、落ち着いて。ひとまず花火を楽しんでから、また話しましょ。おかーさん、せっかく楽しみにしてたのに、花火終わっちゃいますよ」

真凛は相変わらず何もわかっていない調子で、ルイボスティーを飲んでいる。彼女こそが、そもそもの「問題」だと言うのに。順調で完璧だった早穂子の子育てが、ここに来て急に失敗談になろうとしている。

それを原因でもある彼女につぶさに見られた。恥ずかしくて、哀しかった。救いは真凜が鈍感で、さまざまなことに気がついていないことだ。

「とにかく……この際だからはっきり言うけれど、二人は本当に結婚するべきなのか、もう一度話し合ってみるべきだと思う。真凛さんはまだ若いし、うっかり子どもができたからって、お互い流されて結婚してうまくいくほど人生は甘くないのよ」

乗りかかった船、いや、破れかぶれか。早穂子は覚悟を決めて、一度はひっこめたセリフを放った。これを言うのは、この世に今、早穂子しかいない。

「帰るわ。二人でしっかり話し合って。親になるのならば、覚悟が必要なのよ。自分の命より大事なものを、あなたたちはあと半年で二人で育てていけるの?」

呆然と言葉を失う光輝と、相変わらずきょとんとした真凛を置いて、早穂子は早足でその場を後にした。

次週予告/
こじれる親子の関係に、意外な人物の一言が……?
構成/山本理沙
 

 

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