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57「お金がない...」その一言がママ友に言えない港区母の、禁断の秘策とは？

2022.11.6

佐野倫子

「え？　お金？　授業料ってこと？　でも海浜幕張学園も、女学院も、変わらないよ、初年度120万円とかじゃない？　大丈夫よ、多香子さんのところが心配するようなことじゃないって」

明菜が、手をパタパタしながら笑った。しかし成美は、真顔でジンを一口飲んでから、多香子を見た。

「留学にかかるお金ってこと？　確かに、円安もあるし、アイビーリーグなんかだとちょっとどのくらいかかるのか見当もつかないとこ、あるね」

経営者である成美には、もしかして多香子の家の事情が多少なりとも推し量れるのだろうか。多香子はひやりとする。今までの虚勢は無駄だったのかもしれない。

「実は……彰人さんのお店、数年前から厳しくて。このマンションも、結構無理してるんだよね……買ったときは、こんなことになると思わなくて。それなのに、いくら絵里花のためとはいえ、これ以上彼にお金かかるって言っていいのか、分不相応なのか、全然、わかんないんだ」

お金がなくなってきた、の一言が、長い間言えなかった。夫の仕事がうまくいっていて、裕福な家庭であることを心の拠り所にしていたから。成功して港区のタワーマンションに住んでいることが、自慢だった。たとえ苦しくなっても、誰にも知られなければ、何も変わっていないと自分をごまかすことができた。

明菜と成美と、今までどおりの関係でいたかった。絵里花にそのままでいてほしかった。

「それで、ここを、売ろうと思うんだよね、もし絵里花が海浜幕張学園に受かったら。家を売って、千葉のマンションで、彰人さんが東京に通勤できるようなところに引っ越すつもり。それでも足りなかったら……私、働こうかと思う」

多香子は、2人の顔を見ずに手元だけを見て、続けた。

「今もローン、結構苦しくて。もしかして海浜幕張学園を志望するのも、分不相応なのかな？　留学とか、家計が厳しいから無理だよ、って伝えるべきなのかも。そもそも中学受験が贅沢とか？　……なにが常識的な判断なのか、わからなくなっちゃった」

沈黙が、3人の間に降りた。この2年間、多香子が恐れてきた、沈黙。しかしそれは、予想していた腫物に障るような雰囲気とは少し異なるものだった。

「いいんじゃない？　このマンション、無駄に派手な共用設備が多くて、管理費や修繕費で毎月15万円超え。はっきり言って、それだけで千葉なら家族でけっこういいマンションに住めると思う。絵里花ちゃんの学校のほうが大事だよ」

成美が力強く頷いた。いつものおっとりモードは吹き飛んで、声も低めになっている。

「え！？　このマンションの管理費とかそんなにかかってるの？　それならこのバーのカクテルは飲み放題にしてほしいわよね」

明菜が思い切り顔をしかめて手にしているグラスを見た。「隙のないセレブママ友」のはずの2人の意外なコメントに、多香子は驚いて顔を上げた。

「とりあえず、留学はいくらお金がかかるかなんてわからないし、また気が変わる可能性だってあるよ。パパのお店だって好転するかもしれないし、今悩みすぎても仕方なくない？　絵里花ちゃんの希望だもの、そこまでの覚悟があるならいざとなったら引っ越しでもなんでもしてさ、やってみればいいじゃん」

能天気な明菜の言葉は、多香子のもつれた思考を不思議なほどシンプルに整えていく。

「……マ、マンション、ローンが払えなくて、出て行くなんて、は、恥ずかしくて、言えなかったの。だからいつも要領を得ない相談しちゃって……それなのにいつも２人が本気できいてくれるから、私、申し訳なくて」

しどろもどろになりながら多香子が絞りだす言葉を、二人は最後まで言わせない。

「うんうん、ママ友にそういうの言えないよね」

「私たち、『友達』じゃないもんね。『ママ友』って、そういうもんだよ。自分より、守らなきゃならないものが沢山あるからね、そんなこと気にしなくていいんだよ」

２人はわかるわかる、という調子で頷く。

戦友、という言葉が、多香子の頭に浮かんだ。

「さーて、30分の息抜き作戦タイム、おしまい！　あとは最後まで、走ろう。終わったら、3人でぱあっとね、騒ごうね」

多香子は、涙でもう前が見えない。

次週予告／
一方、課金が止まらない明菜の決断とは？

構成／山本理沙

PROFILE

作家・エディター。東京生まれ、早稲田大学卒。グランドスタッフ、出版社勤務を経てフリーに。ダイヤモンド・オンライン、講談社Kiss、幻冬舎ゴールドオンライン、月刊エアステージ、東京カレンダーWEBなどで多数執筆。著書は『天現寺ウォーズ』、『知られざる空港のプロフェッショナル』、『中学受験ウォーズ　君と私が選んだ未来』。男子2人を育児中。趣味は旅行とグルメ。
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