ビジネスマンの大群が、怖い


――ふう、今日は冷えたなあ。いくら足元にヒーターと電気ひざ掛けがあっても、ひらひらしたあの制服、年々キツくなるなー。

紗季は、受付の控室を出ると、エレベーターの地下1階のボタンを押した。

この商社の「受付」への気合は相当なもので、制服にもお金をかけており、半年に一度の周期でガラリと変更される。人事部の部長、課長たちがカタログを見て趣味で決定するので、まるで受付スタッフは着せ替え人形だ。紗季は大きな声では言えないが、もう12パターンの制服を着用している。

ときどき、万博のコンパニオン? と突っ込みたくなるような制服が選ばれることもあるが、今期の制服はシンプルに白いワンピースとジャケットにスカーフを巻くスタイルで、来客には評判上々だった。しかしとにかく仕立てがペラペラで、真冬には玄関からの寒風が堪えた。

――今日はお花の匂いの入浴剤を買って帰ろうっと。

1人暮らしはいい。仕事さえ終われば、残りの時間もお金も、自分のために使うことができる。結婚していた頃は、大好きな入浴剤も「安っぽい女の匂いが嫌だ」と言って使わせてもらえなかった。「受付なんてなんのキャリアにもならない」とせせら笑うのと同じ調子で。

今思えば、単に自分に匂いが移るのがいやだったのだ。他の女に嫌がられるから。

そんな俺様で自分勝手な男を、「強引だけど頼り甲斐がある」と思ったのだから、我ながら若気の至りとしか思えない。

鼻筋と、指がすらっと長く、美しい男だった。低くてよく響く声。それだけで上等に、真実を言っているように見えるのだから、質が悪い。

それでも、紗季は東京駅をこうして歩くのとき、何百人のサラリーマンの群れのなか、あの男に似た背格好のスーツ姿を見ると息が詰まる。東京にはいないはずの、遠く中東で楽しくやっているはずの男の面影に、心臓が勝手に音を立てる。

後輩は、「紗季さんはすっかり達観している」と言う。「もう、色恋沙汰とは無縁みたい」と。

できるだけ、スーツ姿だらけの東京駅構内を、早足ですり抜ける。足元だけを見て。決して、行き交う男の顔を見なくて済むように。

 

神様、早く、はやく忘れさせてください。

離婚した男の面影が恋しいのか、恐ろしいのか、それさえもわからない。心臓の痛みだけが、リアルだ。

 

ふと、前田このみのことを思い出す。彼女もきっと何かを祈っていた。美加の言うこともあながち外れていないかもしれない。切実で、揺れていた。

ふと、どこかから視線を感じて、紗季は立ち止った。

周囲を見渡すが「彼女」はいない。それでも、確かに紗季には感じられた。この世界のどこかで、自分を探している女がいる。そしてそう遠くなく、彼女は探し当てるだろう。

紗季はその日、入浴剤を買いに行くこともなく、足早に帰路についた。

次週予告/
来客登録に入力された、1件の奇妙な女の情報が、受付スタッフに波紋を呼んで……?
写真/Shutterstock
構成/山本理沙
 

 

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